2017年01月06日

関東周辺をぐるり散策・小田原城へ

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明るい新年を迎えた元旦、早速、明治神宮へ初詣。明治神宮のシンボルともいえる大きな鳥居をくぐり、清々しい空気が満ちる神楽殿前へと。

明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社で、神楽殿では厳かな神楽が奉納され、多くの参拝客が家内安全、身体安全祈願、厄祓い、合格祈願などで訪れる。明治神宮の由来は、明治45年7月30日に明治天皇さま、大正3年4月11日に昭憲皇太后さまが崩御になり、御神霊をおまつりしたいとの国民の熱意により、大正9年11月1日両御祭神と特に縁の深い代々木の地に御鎮座となり、明治神宮が創建された。

明治神宮は2020年に100周年を迎える。先人たちのおかげで大都心の真ん中に緑が生い茂る永遠の杜、かっては荒れ地のような畑の景観が続いていた所に、大正4年から「永遠の森」の壮大な造営工事が始まり、神社が造られた。そこには先人たちの祈りと、その想いに応えようとする人々の未来への希望が積み重ねられている。

参道わきに酒樽やブルゴーニュからワインが奉納されているが、これは明治天皇が日本酒やワインに造詣が深く、「よきをとり あしきをすてて 外国に おとらぬ国と なすよしもがな」という歌を詠んでおられるように洋食を召し上がり、ぶどう酒を好まれた由縁からのようです。

正月の三日目、小田原城へと向かった。各停電車に揺られながら東海道の穏やかな風に吹かれながら車窓風景を眺めていたところ、突如、冠雪の富士山がクローズアップ。これはラッキー!と小躍り。小田原は箱根駅伝の中継地で、その日は復路として芦ノ湖〜小田原(20.8km)の山下りのランナーが次なる仲間に夢をたくす地でもある。熱い風を感じながら小田原駅に降り立ち小田原城此公園へと向かった。

お堀端にかかる赤い「学橋」の下で浮かぶカモメに眼を細めながら「馬出(うまだし)門土橋」を渡り公園内へ。「馬出門」は馬の出口門で、土塀で周囲が囲まれている。通常、開閉されていないので、門の二階まで見学できたのはラッキー!だった。

小田原城は、15世紀半ごろに大森氏が築いた城で、北条早雲に始まる小田原北条氏の本拠となってから、関東支配の拠点として整備された。後、豊臣秀吉との小田原合戦を前に周囲9km.に及ぶ城郭を構築。北条氏滅亡後、徳川家康家臣、大久保氏が城主となる。その後、稲葉氏が城主になるが、明治維新を向かえ、明治3年に小田原城は解体、売却され、大正12年に小田原市へ払い下げられた。

・・・と城主が変わる小田原城だが、特に印象に残る歴史場面は豊臣秀吉軍との合戦である。実は昨年の12月に真田一族ゆかりの地を巡る旅をしたが、最初の訪問地は名胡桃(なくるみ)城であった。その時の紀行文を読み返すと北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直と五代にわたり続いた北条氏が滅亡へとなるきっかけが分かるので、今一度記してみたい。

名胡桃城は、利根川と赤谷川の合流地点の東西の右岸の段丘上に築城された城で、天正7 年、利根に進行した真田昌幸によって現在の城址に築城された。発掘により、名胡桃城址の般若郭には古い居館の址が明らかとなり、名胡桃氏(沼田景久の子 景冬)の居館であったとされる。

東西を山に囲まれた利根・沼田周辺は、鎌倉時代から戦国時代にかけて沼田氏が支配していたが、戦国時代の天文の頃、小田原の北条氏が進行し利根沼田一帯は北条氏の支配となった。が、永禄3 年(1560 年)越後の上杉謙信が進行し山城や砦を攻略。北条氏の城となっていた沼田城を手中にした。だが、上杉謙信の急死後、北条氏が沼田に進攻し、再び北条氏の支配となった。

謙信の没後、武田勝頼の命により真田昌幸が吾妻の岩櫃城、名胡桃城、山城や砦を攻略し天正8 年沼田城を手に入れた。その後、真田氏と北条氏の間で攻防が続くが、天正17 年(1589 年)、関白豊臣秀吉の調停で東と赤谷川の左岸を北条領、西(名胡桃城)を真田領とする裁定を下したが、北条氏の沼田城代となった猪俣邦憲が調略により、名胡桃城の城将の真田昌幸家臣を不法に攻略してしまった。

この名胡桃事件に激怒した秀吉は、天正17 年11月北条氏に対して宣戦布告。全国の大名に命じ小田原攻めを開始し、天正18 年小田原の戦いが勃発。 名胡桃城は、北条氏の滅亡後、役割を終え廃城となった。
このように城の取り合いが繰り返される発端となった名胡桃城だが、北条氏の滅亡へと繋がる城でもあった。その後、豊臣秀吉に対抗した北条氏は、一度は服属を表明したが、再び対立。小田原城に主力を投入して決戦したが秀吉の大群を前に屈した。北条氏政は切腹、氏直は高野山に追放後、赦免され秀吉に出仕するが間もなく病没。北条氏は滅亡した。

それにしても豊臣秀吉の戦術はさすがと思う。22万の兵士を繰り出し、北条氏の6万と戦ったのだから勝利も当然だが、頑強な小田原城を開城させるにはそれなりに知恵がいった。それは、小田原方から気付かれないように小田原城側の山の木を伐採せず、大方出来上がった段階で木を伐採し、あたかも一夜にして城が出来上がったかのように見せかけ築城した一夜城「石垣山城」であった。この城で北条氏も「もうこれまで」と敗戦を余儀なくさせられた。

当時にタイムスリップしたような感覚で小田原城や北条氏の歴史を垣間見ながら天守閣へ登り詰めると絶景が待っていた。東に三浦半島、江の島。北に丹沢。西に箱根。南に真鶴半島、伊豆半島。公園内には紅梅、白梅、スイセンの花が暖かい地の恩恵を受け咲いていた。帰路、小田原の偉人、二宮尊徳翁をお祀りしている二宮尊徳神社をお参りし、清々しい気持ちで小田原を後にした。       
        
                            小田原城

    北条氏の居城、それは小田原城
    陽をあび聳える白き城も
    今、歴史を顧みる人々で活気にむせる
    梅が、水仙が咲く庭園は誠に麗しく
    城主の権威も象徴の飾りと化しながらも
    なお、自然と歴史の響きを受け
    栄えし古典美を伝える風格と
    雅の姿を瞼に映す優雅さが残されている

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明治神宮
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車窓からの富士山
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小田原城のお堀
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学橋
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馬出門
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二の丸観光案内所
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歴史見聞館
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伝銅礎石
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銅門土塀模型
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カンザクラ
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蝋梅
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小田原城
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私の写真を写してくださったご夫婦とワンちゃん
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天守閣への橋
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常盤木門・本丸の正面
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小田原城。27,2m(七位)
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天守閣からの眺望
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一夜城を築いた山並み
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イヌマキ・小田原市指定天然記念物
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報徳二宮神社
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二宮尊徳像
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白梅
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紅梅
posted by 森 すえ at 12:00| Comment(12) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月14日

群馬・長野県への旅(その2)真田一族ゆかりの地を巡る


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 翌日も晴天。穏やかな日和に恵まれ気分も明るい。ラッキー!、早速、天然要塞の面影と藩主御殿の名残りをしのぶ松代城跡へGO-。松代城跡は武田信玄と上杉謙信が戦った川中島合戦で、武田側の拠点として築城された千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、「海津城(かいづじょう)」と呼ばれていた。早朝の松城城址の風情は遠くの山並みと相まって絵の如し。誠に美しい。城址ながらも長い歴史がある。戦国時代は海津城と呼ばれ、武田家、織田家、上杉家と目まぐるしく城主が変わったが、1622年、上田城主・真田信之が13万石として移封となる。

 以後、松代藩の拠点として真田氏の居城となったが、1711年、徳川幕府の命により「松代城」と改名。明治の廃城にともない建物が壊され、長い間石垣を残すのみだったが、1981年、新御殿(真田邸)とともに国の史跡に指定され、2004年、櫓門(やぐらもん)・木橋・石垣・土塁・堀などが復元された。櫓門の前にたち、神秘的に光り輝く城跡を見つめると、昔の空間を泳いでいる錯覚に襲われる。さあ、松代の文武学校へ出かけよう〜。

 文武学校は、近代的な学校の先駆け文武を奨励した松代藩八代藩主・真田幸貫が計画し、九代・幸教の時代に完成した松代藩の藩校で、藩士の子弟が学問と武道を学ぶ場として、1855年に開校。教室として文学所、武術を学ぶ弓術所、槍術所などがある。当時の時間割には東洋・西洋の医学、小笠原流礼法、西洋の軍学なども組み込まれ、近代的な学校の先駆けであったことがうかがえる。

 建物は、創建時の姿を現在に伝る貴重な遺構で、1953年に国の史跡に指定される。剣術所・槍術所をはじめ、江戸時代の面影をそのままに残す敷地内に佇み一呼吸。さすが映画や時代劇のロケにも利用されるほど貴重な建物である。さあ、次に旧樋口家住宅に立ち寄り真田邸へ行こう〜。

 城の正面口にあたる大御門(大手門)や新御殿(真田邸)に近いこの界隈は、上級武士が多く住む武家屋敷町であったが、樋口家は江戸時代、藩の目付役なども務めた家柄で、中心的な武家屋敷だった。主屋、土蔵、長屋の3棟が長野市の文化財(建造物)に指定されている。敷地内に泉水路が流れ、池、雑木林、竹林などの庭園は、江戸時代、畑として使用されていた。泉水路、庭、建物など松代藩の上級武士の屋敷の姿をよく伝えている。なかなか風情のある屋敷である。

 真田邸は江戸末期の御殿建築を知る貴重な屋敷。九代藩主・真田幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)の住まいとして1864年に建築した松代城の城外御殿で新御殿と呼ばれていた。江戸時代、大名の妻子は生涯江戸住まいを義務づけられていたが、十四代将軍・徳川家茂の時代に行われた文久の改革により、妻子の帰国が許可された。

 それ故、松代にも屋敷が必要になり幸教もここを住まいとした。明治以降、伯爵となった真田氏の私宅となるが、1966年、十二代当主・幸治氏により家宝とともに松代町に譲渡された。主屋、表門、土蔵7 棟、庭園が江戸末期の御殿建築の様式をよく伝え、建築史の視点からも貴重な建物であり、松代城とともに国の史跡に指定されている。庭園からの眺めもよく四季折々の風情が楽しめるようだった。その後、真田宝物館を見学後、池田寿夫美術館の庭園で彫刻などを鑑賞。さあ、上田城跡公園へ〜。

 上田城跡公園は、真田氏の居城、上田城跡を核とした公園で、樹齢100 年といわれるケヤキ並木をはじめ、約千本の桜など花と緑に囲まれたゆったりとした公園である。1583年、真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城であるが、関ヶ原の合戦後、破却された。その後、上田城は仙石氏が城主の時代に再建され、7 基の櫓(やぐら)と2 基の櫓門が建てられた。明治維新後、西櫓1 基を残しそのほかの櫓・櫓門は取り払われた。

 真田石は、東虎口櫓門右手の石垣にある高さ約2.5m・幅約3m の大石。真田信之(信幸)が松代城移封にあたり、父・真田昌幸の形見として持っていこうとしたところ、微動だにしなかったという言い伝えが残っている。ガイドさんは、上田城をこよなく愛した真田昌幸の意志(石)の固さの現れと説明されていたが・・・。真田井戸は、眞田神社の境内に残る直径2m・深さ16.5m の井戸で、真田井戸と呼ばれている。井戸は抜け穴になっており城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じていたらしい。

 二の丸堀の水抜きの「石樋」や本丸の方角は鬼門にあたることから土塁の隅を切り込み鬼門よけとした隅落としなど、上田城の特徴のひとつなどを見学した後、真田神社へお参りをする。ろくもん入りの真っ赤なタオルに書かれていた言葉が印象に残る。

 「真田神社の御祭神である真田氏は、少数の軍で徳川の大軍と戦った時に示した「勇気」と「知恵」と戦略に優れた武将として広く知られ、真田の家名存続をかけ、一族が徳川方と豊臣方に分かれてまでも乱世に生き残りをかけた、しぶとさ、ねばり強さは、さまざまな困難に直面した時に見習うべきところ。人生においての大切な勝負時である、試合、受験、病気、就活などに、必ずや良き結果が得られますようにお祈り申し上げます。真田神社」とあった。私も真田一族の知恵にあやかりたいもの。

 真田 幸村(真田信繁さなだ のぶしげ)は真田昌幸の次男。江戸時代初期の大坂の陣で豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、3500 の寡兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込み、家康を追いつめた。戦国時代最後にして最強の砦「真田丸」を作り上げるまでの人生は、乱世を生き延びるために、迷い、悩み、苦しみながらの物語があった。戦国の波乱に満ちた小さな家族船「真田丸」での戦いの道のりの物語があった。

 いよいよ、楽しかった真田ゆかりの地を巡る旅も終盤へと。観光バスは上信越自動車道をひた走り、群馬県・高崎駅に到着。上越新幹線「たにがわ412号」にて東京駅へと向かった。ゆれ動く車窓風景の内部に城や武将の姿を瞼に浮かべながら・・・。
     
        まとめて思い出せば

     あのときのことをまとめて思い出せば
     枯れかかった白い樹にも血が流れ
     儚く消えた城も人生も、時がたち
     柔らかい未来の風に吹かれ
     まるで柳のようにしなやかに蘇る
          どんな荒れ果てた地にも
     種子がこぼれ落ち
     雑草と大地を這うように芽がのびる
     それが幸せ不幸せに関係なく
     すべては自然の摂理のままに繰り返され
     遠きつわものどもの夢のあとを
     過去と未来にわたり語りつがれゆく

161205_真田一族ゆかりの地_093_s.jpg松代城跡
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文武学校
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旧樋口家住宅
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武家屋敷界隈
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真田邸
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真田宝物館
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池田満寿夫美術館
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宇宙からきたビィーナス
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天使の門
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上田城跡公園で
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隅落とし
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真田井戸
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真田神社
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posted by 森 すえ at 05:36| Comment(12) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

群馬・長野県への旅(その1)真田一族ゆかりの地を巡る

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12月4日、群馬・長野県への旅に出る。この一年、なにかと話題に上り、私も楽しんで観ていたNHKドラマ「真田丸」も終りに近づいた。そこで一度、真田一族のゆかりの地を巡りたくなった。歴史に特に詳しいわけではないが、今回はとても楽しんで観ていたので、落葉の風景ながら、見知らぬ真田ゆかりの地で、、穏やかな空気と旬の食べ物を愛でながら、人々の純朴さに心うたれる旅をしてみたい。まじかに歴史の登場人物に話しかけてみたいと思った。・・・それ、いざ行かん!

早朝の8時52分発の上信越新幹線に乗車。1時間20分後、群馬県の上毛高原駅に到着した。そこからバスで10分ほどの距離にある「名胡桃城址(なぐるみじょうし)」へと向う。名胡桃城は、利根川と赤谷川の合流地点の東西の右岸の段丘上に築城された城で、天正7 年、利根に進行した真田昌幸によって現在の城址に築城された。発掘により、名胡桃城址の般若郭には古い居館の址が明らかとなり、掘っ建て柱による建物20 ケ所が確認。これは名胡桃氏(沼田景久の子 景冬)の居館であったとされる。

東西を山に囲まれた利根・沼田周辺は、鎌倉時代から戦国時代にかけて沼田氏が支配していたが、戦国時代の天文の頃、小田原の北条氏が進行し利根沼田一帯は北条氏の支配となった。が、永禄3 年(1560 年)越後の上杉謙信が進行し山城や砦を攻略。北条氏の城となっていた沼田城を手中にした。だが、上杉謙信の急死後、北条氏が沼田に進攻し、再び北条氏の支配となった。

謙信の没後、武田勝頼の命により真田昌幸が吾妻の岩櫃城、名胡桃城、山城や砦を攻略し天正8 年沼田城を手に入れた。その後、真田氏と北条氏の間で攻防が続くが、天正17 年(1589 年)、関白豊臣秀吉の調停で東と赤谷川の左岸を北条領、西(名胡桃城)を真田領とする裁定を下したが、北条氏の沼田城代となった猪俣邦憲が調略により、名胡桃城の城将の真田昌幸家臣を不法に攻略してしまった。

この名胡桃事件に激怒した秀吉は、天正17 年11月北条氏に対して宣戦布告。全国の大名に命じ小田原攻めを開始し、天正18 年小田原の戦いが勃発。 名胡桃城は、北条氏の滅亡後、役割を終え廃城となった。・・・と、このように城の取り合いが繰り返された名胡桃城だが、今は城址として残されている。

名胡桃城址を見学後、バスでくねくねと峠越えをし長野県の小諸方面へ移動。そして上田市にある長谷寺(ちょうこくじ)と真田氏館跡へと。先ず、真田山種月院長谷寺へお参り。長谷寺(ちょうこくじ)は信州真田の山の中でひっそりとたたずむ山寺で、真田幸隆公夫妻および真田昌幸公の菩提寺である。真田昌幸は父幸隆の菩提のために寺の増築改修を行い諸堂を完備したが、慶長5年(1600)第二次上田合戦の際に退却する徳川勢に火を放たれ焼失。その後再建されたが、(1757)に火災により焼失。現在の建物は昭和53 年に再建されたもの。

・・・と、このような歴史をたどることができるが、ドラマのおかげで何故か真田昌幸公夫妻の墓にも愛着を感じる。可愛い猫のおみくじを手にすると、第三番、「冬枯れて休みしときに、深山木は花咲く春の待たれけるかな。」とあった。まあ、騒がず時を待ちなさいってことのよう〜。そして「大吉」、運勢に「楽しき旅になる」・・・いいね!!!
真田信繁(幸村)の祖父の真田幸隆と父の真田昌幸の菩提寺として建立された真田氏ゆかりの寺を後にし真田氏館跡へと。

真田氏館跡は真田氏が上田城を築城する以前の居館跡で、地元では「お屋敷」と呼ばれ、現在は御屋敷公園として親しまれている。跡は四周に土塁を廻らしており、東西150m から60m、南北およそ130m のやや台形の敷地で、東が高く、西に緩やかな傾斜をし、周囲の土塁は東側が特に高く、現在4m から5m あり、東南の隅を欠いているなど、ゆっくり歩きながら見て回ると良くわかる。真田氏の居館は中世豪族の館跡として貴重な存在となっている。

歴史館を訪れ真田一族の成り立ちや、城などについて詳しくお話を聞いた後、小諸にでて、 しなの鉄道・観光列車「ろくもん3 号」に乗車。「ろくもん」は自然と文化に恵まれた軽井沢から上田や善光寺の長野までの間を走るが、私たちは小諸駅〜屋代駅までを、信州の木のぬくもりを乗せ、高原の風と共に楽しく走り抜けた。ゆったりとした景観を楽しみながらの短い旅であったが、ほんに快適であった。

その夜の宿泊は「松代温泉」。露天温泉岩風呂 (夕姫の湯)でまったり〜長旅の疲れを癒してくれた。松代温泉はその昔、日蓮上人が島流しの前後2回にわたって入浴した湯であるといわれ、また、戦国時代に武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをしたといわれる川中島合戦では、武田軍の隠し湯として兵士の疲れを癒したとも伝わっている。情緒あふれるのどかな信州松代で温泉につかり、遠くから近くから木の葉が落ちる風情を見つめながら、芯まで温まった感じだった。

                すべては遠く

         おお、すべては遠く
         過ぎ去ったことなのに
         幻想の山里から、
         今も輝きを受けている
         時計が現時刻を知らせても
         歴史は古の時のまま
         まあ、いいだろう・・・
         たとえ記憶や想いが消えようが 
         旅さきで見つめた人たちが
         ありし日の物語を        
         未来へとつなげてくれるだろう

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161204_真田一族ゆかりの地_033_s.jpgクマよけ鐘
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長谷寺(ちょうこくじ)
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真田昌幸夫妻の墓
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真田幸村の供養塔
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長谷寺
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野沢菜の収穫をする地元の方
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真田氏館跡
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小諸駅
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ろくもん三号
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松代温泉
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posted by 森 すえ at 09:12| Comment(8) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

関東周辺をぐるりと散策・代々木公園の紅葉


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日々、静かに、習慣のように代々木公園を散策しているが、ただ今、紅葉が綺麗。NHK前の桜並木を見やりながら公園に入ると、紅葉の樹木が横つなぎで輝いている。これは綺麗と感嘆しながらさらに噴水のある中心部へ。ここらあたりの紅葉はもう過ぎゆき、木の葉が舞い散る光景であったが、遠くの方で木々の輝きを感じる。銀杏だ!黄金色の銀杏だ!

紅く染まった桜の葉の散り行くさまにも風情があり、晩秋への移ろいの光景に目を奪われる。思えば、四季の四つの顔を携え微笑みを投げかける代々木公園に、私も微笑みを返し、様々なイメージのつながりの中へ織り込められながら散策する。今、 華やかに着飾った紅色の落葉が、すぐ背後から、ごらん、紅葉の舞踏を・・・と語りかけ、頭の上で小さな輪を描きながら回る様に、まるで紅葉の世界へ招かれ、触れられているかのよう。

まさに紅葉の秋。木々と葉っぱが響きあい、猛烈に燃える沈黙の世界。秋は人を酔わせる力を見事に発揮し郷愁にふけさす。赤、黄、緑の葉っぱが譲り合い、 美を織り成す模様はまさにパッチワーク。一葉が遠くを見つめる私の背中にもはらはら舞い落ちる。秋色に染まる樹々を眺めながら、全身を揺するようにゆっくり右往左往。時には自分を奮い立たせるために早足で・・・。

やや!!優雅な皇帝ダリア。青空高くに揺れながら微笑んでいる〜。一瞬、心が騒ぎ、無言のざわめきに胸がつまる。ああ、紅葉の秋よ!偶然がすばやく様々の顔をととのえる紅葉を見つめ、そうだ、今一度、しっかり眺めておこう。 やがて風に吹かれ、はらはらと大地へ落ちゆきシンプルな光景となるだろうが、今しばらくはこの麗しい風景のままでいてほしい。 と、木の葉が落ち冬支度の装いの樹の下でつぶやく。

        木の葉のベンチ

              がさがさと踏まれる木の葉
              踏まれても踏まれても足元で舞う
              近くで舞う木の葉に
              遠くへ飛べよと手で追い返す
              木の葉が強風で遠くへ
              そ知らぬ顔で飛んでいく

              遠くで舞う木の葉に
              近くにおいでと手招きする
              木の葉が空中で渦を巻く
              小雨と微風が絡まって
              軽やかな木の葉のアート
              近くで遠くで飛びかい浮遊する

              木の葉がすこし威張る並木道
              枯葉の公園は茶色の世界へと移ろい
              冬眠を促すように
              幻想的な弱光がベンチで揺れる

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posted by 森 すえ at 06:16| Comment(16) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月09日

富士山麓をぐるり散策・富士山の初冠雪

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うおぉぉ〜富士の山に雪が降った・・・!! 例年より26日遅れの初冠雪の日は晴天。秋は紅葉に尽きるが、富士山の冠雪と合いまっての美しさは格別。待ってました。いざ天上山へ。澄みきった青い空に新雪を頂き浮かぶ姿は、まるで絵のごとく美しい。急に輝きだした富士山に瞳を凝らし思わず息をのむ。

10月にはいり2週間あまり富士山麓に滞在したが、晴天に恵まれる日は少なく、紅葉も例年になく遅かった。何処を眺めてもこれぞ秋という色彩に感動できなないまま落葉が始まり、そんな風情を無口に眺めることも。無論、富士山にも雪が降らなった。が、ついに10月26日、冠雪の姿が登場した。感動に酔いしれる日となり、秋の奥ゆかしさがさらにましたのである。いざカチカチ山から富士山を眺めよう〜と嬉々と河口湖へ向かった。

山梨ではゆっくりくつろぐのが最大の目的だが、写真を撮るのも楽しみの一つ。陽が射し出すと、富士の表情を見よう〜と山麓巡りへ出かけるが、今日の最大の被写体は、無論、富士の冠雪。ヤッホー!!雄大な白い富士山と鮮やかな紅葉が織りなす絶景が広がってる。ああ、耀けよ、耀けよ、青空の下に、私たちの喜びのために。向こうに、いや、すぐ私たちの傍らで、私たちの微笑みの中で、富士山は絵葉書の限界を描いていた。恍惚たる冬への未来に向かって優しくも厳格な姿だった。
タヌキ団子をばっちり頂いたあと、みんなの想いが届いてよかったと、ぽつりぽつりと幸せ感を心に刻みながら下山。

大石公園で秋色の湖と、コキアの赤色を見つめ、さわやかに癒される。やっぱり秋はこの色と嬉しかった。色とりどりの花々を愛で、秋空を眺め光のつばさを感じた。さあ、小さい秋を追いかけた紅葉めぐりにおわかれしょうと山麓を後にした。
やがて山麓に深い雪が降り、銀世界の風景となるだろう〜。そして再び陽光の射す春へと、そんな輪廻をイメージしながら・・

     
        富士に雪が降る

     雪に木も家も真っ白
     新芽も大地に閉じ込められ
     小鳥が寒そうに飛び交う
     雪で垂れ下がった木も重そうに
     日が高くなるのを待っている

     やがて溶け出す軽い雪
     私は思わず安堵の小声をもらす
     遠回りしながら温泉に向かう
     音なしの湯は身と心をほぐし
     湯煙の向こうの白い富士眺める

     昨日の富士はくっきり美しく
     絵はがきと同じ姿であった
     幼時に描いた空色クレヨンの空
     懐かしい色合いに郷愁を感じ
     透明の湯船で眺めた

     雪の岩風呂に冷身を沈め
     眺める景色は数本の赤松
     沈黙に覆われた松ぽっくり
     数を目で追う枝先に微風が流れる

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10月26日初冠雪・天上山から

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うさぎ神社

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河口湖から

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大石公園で

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河口湖周辺で

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湖上に浮かんだ六角堂

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レストラン・イエスタデー

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posted by 森 すえ at 06:10| Comment(6) | TrackBack(0) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする