2017年01月06日

関東周辺をぐるり散策・小田原城へ

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明るい新年を迎えた元旦、早速、明治神宮へ初詣。明治神宮のシンボルともいえる大きな鳥居をくぐり、清々しい空気が満ちる神楽殿前へと。

明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社で、神楽殿では厳かな神楽が奉納され、多くの参拝客が家内安全、身体安全祈願、厄祓い、合格祈願などで訪れる。明治神宮の由来は、明治45年7月30日に明治天皇さま、大正3年4月11日に昭憲皇太后さまが崩御になり、御神霊をおまつりしたいとの国民の熱意により、大正9年11月1日両御祭神と特に縁の深い代々木の地に御鎮座となり、明治神宮が創建された。

明治神宮は2020年に100周年を迎える。先人たちのおかげで大都心の真ん中に緑が生い茂る永遠の杜、かっては荒れ地のような畑の景観が続いていた所に、大正4年から「永遠の森」の壮大な造営工事が始まり、神社が造られた。そこには先人たちの祈りと、その想いに応えようとする人々の未来への希望が積み重ねられている。

参道わきに酒樽やブルゴーニュからワインが奉納されているが、これは明治天皇が日本酒やワインに造詣が深く、「よきをとり あしきをすてて 外国に おとらぬ国と なすよしもがな」という歌を詠んでおられるように洋食を召し上がり、ぶどう酒を好まれた由縁からのようです。

正月の三日目、小田原城へと向かった。各停電車に揺られながら東海道の穏やかな風に吹かれながら車窓風景を眺めていたところ、突如、冠雪の富士山がクローズアップ。これはラッキー!と小躍り。小田原は箱根駅伝の中継地で、その日は復路として芦ノ湖〜小田原(20.8km)の山下りのランナーが次なる仲間に夢をたくす地でもある。熱い風を感じながら小田原駅に降り立ち小田原城此公園へと向かった。

お堀端にかかる赤い「学橋」の下で浮かぶカモメに眼を細めながら「馬出(うまだし)門土橋」を渡り公園内へ。「馬出門」は馬の出口門で、土塀で周囲が囲まれている。通常、開閉されていないので、門の二階まで見学できたのはラッキー!だった。

小田原城は、15世紀半ごろに大森氏が築いた城で、北条早雲に始まる小田原北条氏の本拠となってから、関東支配の拠点として整備された。後、豊臣秀吉との小田原合戦を前に周囲9km.に及ぶ城郭を構築。北条氏滅亡後、徳川家康家臣、大久保氏が城主となる。その後、稲葉氏が城主になるが、明治維新を向かえ、明治3年に小田原城は解体、売却され、大正12年に小田原市へ払い下げられた。

・・・と城主が変わる小田原城だが、特に印象に残る歴史場面は豊臣秀吉軍との合戦である。実は昨年の12月に真田一族ゆかりの地を巡る旅をしたが、最初の訪問地は名胡桃(なくるみ)城であった。その時の紀行文を読み返すと北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直と五代にわたり続いた北条氏が滅亡へとなるきっかけが分かるので、今一度記してみたい。

名胡桃城は、利根川と赤谷川の合流地点の東西の右岸の段丘上に築城された城で、天正7 年、利根に進行した真田昌幸によって現在の城址に築城された。発掘により、名胡桃城址の般若郭には古い居館の址が明らかとなり、名胡桃氏(沼田景久の子 景冬)の居館であったとされる。

東西を山に囲まれた利根・沼田周辺は、鎌倉時代から戦国時代にかけて沼田氏が支配していたが、戦国時代の天文の頃、小田原の北条氏が進行し利根沼田一帯は北条氏の支配となった。が、永禄3 年(1560 年)越後の上杉謙信が進行し山城や砦を攻略。北条氏の城となっていた沼田城を手中にした。だが、上杉謙信の急死後、北条氏が沼田に進攻し、再び北条氏の支配となった。

謙信の没後、武田勝頼の命により真田昌幸が吾妻の岩櫃城、名胡桃城、山城や砦を攻略し天正8 年沼田城を手に入れた。その後、真田氏と北条氏の間で攻防が続くが、天正17 年(1589 年)、関白豊臣秀吉の調停で東と赤谷川の左岸を北条領、西(名胡桃城)を真田領とする裁定を下したが、北条氏の沼田城代となった猪俣邦憲が調略により、名胡桃城の城将の真田昌幸家臣を不法に攻略してしまった。

この名胡桃事件に激怒した秀吉は、天正17 年11月北条氏に対して宣戦布告。全国の大名に命じ小田原攻めを開始し、天正18 年小田原の戦いが勃発。 名胡桃城は、北条氏の滅亡後、役割を終え廃城となった。
このように城の取り合いが繰り返される発端となった名胡桃城だが、北条氏の滅亡へと繋がる城でもあった。その後、豊臣秀吉に対抗した北条氏は、一度は服属を表明したが、再び対立。小田原城に主力を投入して決戦したが秀吉の大群を前に屈した。北条氏政は切腹、氏直は高野山に追放後、赦免され秀吉に出仕するが間もなく病没。北条氏は滅亡した。

それにしても豊臣秀吉の戦術はさすがと思う。22万の兵士を繰り出し、北条氏の6万と戦ったのだから勝利も当然だが、頑強な小田原城を開城させるにはそれなりに知恵がいった。それは、小田原方から気付かれないように小田原城側の山の木を伐採せず、大方出来上がった段階で木を伐採し、あたかも一夜にして城が出来上がったかのように見せかけ築城した一夜城「石垣山城」であった。この城で北条氏も「もうこれまで」と敗戦を余儀なくさせられた。

当時にタイムスリップしたような感覚で小田原城や北条氏の歴史を垣間見ながら天守閣へ登り詰めると絶景が待っていた。東に三浦半島、江の島。北に丹沢。西に箱根。南に真鶴半島、伊豆半島。公園内には紅梅、白梅、スイセンの花が暖かい地の恩恵を受け咲いていた。帰路、小田原の偉人、二宮尊徳翁をお祀りしている二宮尊徳神社をお参りし、清々しい気持ちで小田原を後にした。       
        
                            小田原城

    北条氏の居城、それは小田原城
    陽をあび聳える白き城も
    今、歴史を顧みる人々で活気にむせる
    梅が、水仙が咲く庭園は誠に麗しく
    城主の権威も象徴の飾りと化しながらも
    なお、自然と歴史の響きを受け
    栄えし古典美を伝える風格と
    雅の姿を瞼に映す優雅さが残されている

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明治神宮
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車窓からの富士山
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小田原城のお堀
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学橋
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馬出門
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二の丸観光案内所
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歴史見聞館
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伝銅礎石
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銅門土塀模型
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カンザクラ
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蝋梅
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小田原城
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私の写真を写してくださったご夫婦とワンちゃん
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天守閣への橋
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常盤木門・本丸の正面
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小田原城。27,2m(七位)
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天守閣からの眺望
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一夜城を築いた山並み
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イヌマキ・小田原市指定天然記念物
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報徳二宮神社
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二宮尊徳像
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白梅
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紅梅
posted by 森 すえ at 12:00| Comment(12) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

新年のご挨拶

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         明けましておめでとうございます
                 本年もよろしくお願いいたします

日本一の高さ(高3776m)の富士山は、古来、人々に親しまれてきた名山中の名山で、いずれの方角から見ても均整のとれた典型的なコニーデ型火山です。その美しさから詩歌や絵画の対象となり、又、信仰の山として崇められてきました。富士山の「富士」とは、その高さから比ぶべきものがないという意味の「不二」が、飛鳥時代以降、「富士」という表記になったと言われます。

歴史あり、文化あり、深い自然があり、ふるさとの暮らしに根付き、その美しい山容から多くの人々が愛してやまない富士山、日本一の山について、今さら何も言う必要もないようですが、これほど多く語られ、歌われ、描かれた山は世界にもないでしょう。

私もまた富士山に魅かれ長年にわたり写真を楽しんできました。 春、花咲く木々。夏、雲なき焼きつく太陽。秋、真っ赤な紅葉。冬、白き沈黙の銀世界など、春夏秋冬の美が、自然がなせる偶然により、すばやくさまざまな表情を整える富士山麓、そんな多彩な光景を追い求め、今年も山麓周辺をゆったりとめぐりたく思っております。

160429_創造の森_54_s.jpg創造の森で
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忍野八海で
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大石公園で
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長崎公園で
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母の白滝で
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木の花美術館で
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鳴沢村周辺で
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本栖湖の芝桜祭りで
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新屋山神社で
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富士パインパークで
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河口湖湖畔で
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カチカチ山で
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富士山お中道で
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山中湖パノラマ台で
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九州へ向かう機上から
posted by 森 すえ at 00:00| Comment(16) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする