2016年12月14日

群馬・長野県への旅(その2)真田一族ゆかりの地を巡る


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 翌日も晴天。穏やかな日和に恵まれ気分も明るい。ラッキー!、早速、天然要塞の面影と藩主御殿の名残りをしのぶ松代城跡へGO-。松代城跡は武田信玄と上杉謙信が戦った川中島合戦で、武田側の拠点として築城された千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、「海津城(かいづじょう)」と呼ばれていた。早朝の松城城址の風情は遠くの山並みと相まって絵の如し。誠に美しい。城址ながらも長い歴史がある。戦国時代は海津城と呼ばれ、武田家、織田家、上杉家と目まぐるしく城主が変わったが、1622年、上田城主・真田信之が13万石として移封となる。

 以後、松代藩の拠点として真田氏の居城となったが、1711年、徳川幕府の命により「松代城」と改名。明治の廃城にともない建物が壊され、長い間石垣を残すのみだったが、1981年、新御殿(真田邸)とともに国の史跡に指定され、2004年、櫓門(やぐらもん)・木橋・石垣・土塁・堀などが復元された。櫓門の前にたち、神秘的に光り輝く城跡を見つめると、昔の空間を泳いでいる錯覚に襲われる。さあ、松代の文武学校へ出かけよう〜。

 文武学校は、近代的な学校の先駆け文武を奨励した松代藩八代藩主・真田幸貫が計画し、九代・幸教の時代に完成した松代藩の藩校で、藩士の子弟が学問と武道を学ぶ場として、1855年に開校。教室として文学所、武術を学ぶ弓術所、槍術所などがある。当時の時間割には東洋・西洋の医学、小笠原流礼法、西洋の軍学なども組み込まれ、近代的な学校の先駆けであったことがうかがえる。

 建物は、創建時の姿を現在に伝る貴重な遺構で、1953年に国の史跡に指定される。剣術所・槍術所をはじめ、江戸時代の面影をそのままに残す敷地内に佇み一呼吸。さすが映画や時代劇のロケにも利用されるほど貴重な建物である。さあ、次に旧樋口家住宅に立ち寄り真田邸へ行こう〜。

 城の正面口にあたる大御門(大手門)や新御殿(真田邸)に近いこの界隈は、上級武士が多く住む武家屋敷町であったが、樋口家は江戸時代、藩の目付役なども務めた家柄で、中心的な武家屋敷だった。主屋、土蔵、長屋の3棟が長野市の文化財(建造物)に指定されている。敷地内に泉水路が流れ、池、雑木林、竹林などの庭園は、江戸時代、畑として使用されていた。泉水路、庭、建物など松代藩の上級武士の屋敷の姿をよく伝えている。なかなか風情のある屋敷である。

 真田邸は江戸末期の御殿建築を知る貴重な屋敷。九代藩主・真田幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)の住まいとして1864年に建築した松代城の城外御殿で新御殿と呼ばれていた。江戸時代、大名の妻子は生涯江戸住まいを義務づけられていたが、十四代将軍・徳川家茂の時代に行われた文久の改革により、妻子の帰国が許可された。

 それ故、松代にも屋敷が必要になり幸教もここを住まいとした。明治以降、伯爵となった真田氏の私宅となるが、1966年、十二代当主・幸治氏により家宝とともに松代町に譲渡された。主屋、表門、土蔵7 棟、庭園が江戸末期の御殿建築の様式をよく伝え、建築史の視点からも貴重な建物であり、松代城とともに国の史跡に指定されている。庭園からの眺めもよく四季折々の風情が楽しめるようだった。その後、真田宝物館を見学後、池田寿夫美術館の庭園で彫刻などを鑑賞。さあ、上田城跡公園へ〜。

 上田城跡公園は、真田氏の居城、上田城跡を核とした公園で、樹齢100 年といわれるケヤキ並木をはじめ、約千本の桜など花と緑に囲まれたゆったりとした公園である。1583年、真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城であるが、関ヶ原の合戦後、破却された。その後、上田城は仙石氏が城主の時代に再建され、7 基の櫓(やぐら)と2 基の櫓門が建てられた。明治維新後、西櫓1 基を残しそのほかの櫓・櫓門は取り払われた。

 真田石は、東虎口櫓門右手の石垣にある高さ約2.5m・幅約3m の大石。真田信之(信幸)が松代城移封にあたり、父・真田昌幸の形見として持っていこうとしたところ、微動だにしなかったという言い伝えが残っている。ガイドさんは、上田城をこよなく愛した真田昌幸の意志(石)の固さの現れと説明されていたが・・・。真田井戸は、眞田神社の境内に残る直径2m・深さ16.5m の井戸で、真田井戸と呼ばれている。井戸は抜け穴になっており城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じていたらしい。

 二の丸堀の水抜きの「石樋」や本丸の方角は鬼門にあたることから土塁の隅を切り込み鬼門よけとした隅落としなど、上田城の特徴のひとつなどを見学した後、真田神社へお参りをする。ろくもん入りの真っ赤なタオルに書かれていた言葉が印象に残る。

 「真田神社の御祭神である真田氏は、少数の軍で徳川の大軍と戦った時に示した「勇気」と「知恵」と戦略に優れた武将として広く知られ、真田の家名存続をかけ、一族が徳川方と豊臣方に分かれてまでも乱世に生き残りをかけた、しぶとさ、ねばり強さは、さまざまな困難に直面した時に見習うべきところ。人生においての大切な勝負時である、試合、受験、病気、就活などに、必ずや良き結果が得られますようにお祈り申し上げます。真田神社」とあった。私も真田一族の知恵にあやかりたいもの。

 真田 幸村(真田信繁さなだ のぶしげ)は真田昌幸の次男。江戸時代初期の大坂の陣で豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、3500 の寡兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込み、家康を追いつめた。戦国時代最後にして最強の砦「真田丸」を作り上げるまでの人生は、乱世を生き延びるために、迷い、悩み、苦しみながらの物語があった。戦国の波乱に満ちた小さな家族船「真田丸」での戦いの道のりの物語があった。

 いよいよ、楽しかった真田ゆかりの地を巡る旅も終盤へと。観光バスは上信越自動車道をひた走り、群馬県・高崎駅に到着。上越新幹線「たにがわ412号」にて東京駅へと向かった。ゆれ動く車窓風景の内部に城や武将の姿を瞼に浮かべながら・・・。
     
        まとめて思い出せば

     あのときのことをまとめて思い出せば
     枯れかかった白い樹にも血が流れ
     儚く消えた城も人生も、時がたち
     柔らかい未来の風に吹かれ
     まるで柳のようにしなやかに蘇る
          どんな荒れ果てた地にも
     種子がこぼれ落ち
     雑草と大地を這うように芽がのびる
     それが幸せ不幸せに関係なく
     すべては自然の摂理のままに繰り返され
     遠きつわものどもの夢のあとを
     過去と未来にわたり語りつがれゆく

161205_真田一族ゆかりの地_093_s.jpg松代城跡
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文武学校
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旧樋口家住宅
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武家屋敷界隈
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真田邸
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真田宝物館
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池田満寿夫美術館
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宇宙からきたビィーナス
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天使の門
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上田城跡公園で
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隅落とし
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真田井戸
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真田神社
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posted by 森 すえ at 05:36| Comment(12) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

群馬・長野県への旅(その1)真田一族ゆかりの地を巡る

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12月4日、群馬・長野県への旅に出る。この一年、なにかと話題に上り、私も楽しんで観ていたNHKドラマ「真田丸」も終りに近づいた。そこで一度、真田一族のゆかりの地を巡りたくなった。歴史に特に詳しいわけではないが、今回はとても楽しんで観ていたので、落葉の風景ながら、見知らぬ真田ゆかりの地で、、穏やかな空気と旬の食べ物を愛でながら、人々の純朴さに心うたれる旅をしてみたい。まじかに歴史の登場人物に話しかけてみたいと思った。・・・それ、いざ行かん!

早朝の8時52分発の上信越新幹線に乗車。1時間20分後、群馬県の上毛高原駅に到着した。そこからバスで10分ほどの距離にある「名胡桃城址(なぐるみじょうし)」へと向う。名胡桃城は、利根川と赤谷川の合流地点の東西の右岸の段丘上に築城された城で、天正7 年、利根に進行した真田昌幸によって現在の城址に築城された。発掘により、名胡桃城址の般若郭には古い居館の址が明らかとなり、掘っ建て柱による建物20 ケ所が確認。これは名胡桃氏(沼田景久の子 景冬)の居館であったとされる。

東西を山に囲まれた利根・沼田周辺は、鎌倉時代から戦国時代にかけて沼田氏が支配していたが、戦国時代の天文の頃、小田原の北条氏が進行し利根沼田一帯は北条氏の支配となった。が、永禄3 年(1560 年)越後の上杉謙信が進行し山城や砦を攻略。北条氏の城となっていた沼田城を手中にした。だが、上杉謙信の急死後、北条氏が沼田に進攻し、再び北条氏の支配となった。

謙信の没後、武田勝頼の命により真田昌幸が吾妻の岩櫃城、名胡桃城、山城や砦を攻略し天正8 年沼田城を手に入れた。その後、真田氏と北条氏の間で攻防が続くが、天正17 年(1589 年)、関白豊臣秀吉の調停で東と赤谷川の左岸を北条領、西(名胡桃城)を真田領とする裁定を下したが、北条氏の沼田城代となった猪俣邦憲が調略により、名胡桃城の城将の真田昌幸家臣を不法に攻略してしまった。

この名胡桃事件に激怒した秀吉は、天正17 年11月北条氏に対して宣戦布告。全国の大名に命じ小田原攻めを開始し、天正18 年小田原の戦いが勃発。 名胡桃城は、北条氏の滅亡後、役割を終え廃城となった。・・・と、このように城の取り合いが繰り返された名胡桃城だが、今は城址として残されている。

名胡桃城址を見学後、バスでくねくねと峠越えをし長野県の小諸方面へ移動。そして上田市にある長谷寺(ちょうこくじ)と真田氏館跡へと。先ず、真田山種月院長谷寺へお参り。長谷寺(ちょうこくじ)は信州真田の山の中でひっそりとたたずむ山寺で、真田幸隆公夫妻および真田昌幸公の菩提寺である。真田昌幸は父幸隆の菩提のために寺の増築改修を行い諸堂を完備したが、慶長5年(1600)第二次上田合戦の際に退却する徳川勢に火を放たれ焼失。その後再建されたが、(1757)に火災により焼失。現在の建物は昭和53 年に再建されたもの。

・・・と、このような歴史をたどることができるが、ドラマのおかげで何故か真田昌幸公夫妻の墓にも愛着を感じる。可愛い猫のおみくじを手にすると、第三番、「冬枯れて休みしときに、深山木は花咲く春の待たれけるかな。」とあった。まあ、騒がず時を待ちなさいってことのよう〜。そして「大吉」、運勢に「楽しき旅になる」・・・いいね!!!
真田信繁(幸村)の祖父の真田幸隆と父の真田昌幸の菩提寺として建立された真田氏ゆかりの寺を後にし真田氏館跡へと。

真田氏館跡は真田氏が上田城を築城する以前の居館跡で、地元では「お屋敷」と呼ばれ、現在は御屋敷公園として親しまれている。跡は四周に土塁を廻らしており、東西150m から60m、南北およそ130m のやや台形の敷地で、東が高く、西に緩やかな傾斜をし、周囲の土塁は東側が特に高く、現在4m から5m あり、東南の隅を欠いているなど、ゆっくり歩きながら見て回ると良くわかる。真田氏の居館は中世豪族の館跡として貴重な存在となっている。

歴史館を訪れ真田一族の成り立ちや、城などについて詳しくお話を聞いた後、小諸にでて、 しなの鉄道・観光列車「ろくもん3 号」に乗車。「ろくもん」は自然と文化に恵まれた軽井沢から上田や善光寺の長野までの間を走るが、私たちは小諸駅〜屋代駅までを、信州の木のぬくもりを乗せ、高原の風と共に楽しく走り抜けた。ゆったりとした景観を楽しみながらの短い旅であったが、ほんに快適であった。

その夜の宿泊は「松代温泉」。露天温泉岩風呂 (夕姫の湯)でまったり〜長旅の疲れを癒してくれた。松代温泉はその昔、日蓮上人が島流しの前後2回にわたって入浴した湯であるといわれ、また、戦国時代に武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをしたといわれる川中島合戦では、武田軍の隠し湯として兵士の疲れを癒したとも伝わっている。情緒あふれるのどかな信州松代で温泉につかり、遠くから近くから木の葉が落ちる風情を見つめながら、芯まで温まった感じだった。

                すべては遠く

         おお、すべては遠く
         過ぎ去ったことなのに
         幻想の山里から、
         今も輝きを受けている
         時計が現時刻を知らせても
         歴史は古の時のまま
         まあ、いいだろう・・・
         たとえ記憶や想いが消えようが 
         旅さきで見つめた人たちが
         ありし日の物語を        
         未来へとつなげてくれるだろう

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161204_真田一族ゆかりの地_033_s.jpgクマよけ鐘
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長谷寺(ちょうこくじ)
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真田昌幸夫妻の墓
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真田幸村の供養塔
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長谷寺
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野沢菜の収穫をする地元の方
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真田氏館跡
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小諸駅
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ろくもん三号
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松代温泉
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posted by 森 すえ at 09:12| Comment(8) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする