2015年03月30日

関東周辺をぐるり散策・小石川後楽園へ

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今回、訪れた「小石川後楽園」は都の庭園だが、都立庭園は、明治、大正時代から続く歴史、文化、自然をかな添えており、いずれも国や都の文化財に指定されている。それは、震災や戦災、進む都市化の中で、残された貴重な存在だからであるが、水戸黄門ゆかりの「小石川後楽園」もまさに大江戸、東京に残る深山幽谷として、国の特別史跡、特別名勝に指定される貴重な庭園で、ゆれ動く歴史のはざまで、今なお庭園の意味を与えている。

小石川後楽園は、水戸徳川家の祖である頼房が上屋敷として造り、二代藩主の光圀の代に完成したが、様式は、池を中心にした回遊式築山泉水庭園。光圀は造成にあたり中国の風物を取り入れ、後楽園の名も、中国の「岳陽楼記(がくようろうき)」の「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」と、中国趣味豊かな庭園に仕上がっている。

…というわけで、四季折々の景観が楽しめる天下の小石川後楽園へ。今、桜が満開!!気分も満開。さあ、優雅な小石川後楽園で満開の桜を見つめよう〜と、春の詩を口ずさみながら・・・

わお〜、樹齢60年以上というシダレザクラがお出迎え。古木がピンク色に染まり、まさに王者の貫録。ふと思う。もし古木の心が老い果てていたなら、こんなに爛々と輝かないだろう。四季を通してじっと静かにしているだろう。これほど見事に花を咲かせるには、古木ながら瑞々しい生命が宿っているからだろうと・・。

庭園の中心となる景観は「大泉水」。蓬莱島と竹生島など琵琶湖を見立てて造られとある。 昔、この池で舟遊びをしたと言われるが、風情ある池の周りに見どころが満載。朱塗りの通天橋(つうてんきょう)、西湖の堤(さいこのつつみ)。水面に映る形が満月のように見えることから名がついた円月橋。光圀が農民の苦労を夫人に教えようと作った田んぼ。大小の自然石と切石を組み合わせた延段(のべだん)。そして、得仁堂(とくじんどう)。
光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷(はくい)、叔斉(しゃくせい)の木像を安置した堂である。

小石川後楽園には、春の桜と心を求め多くの人がやってくる。今は桜が見頃で素晴らしいが、木陰にはカタクリの花や、椿、ユキヤナギなども。そう、遠景の秘密の場所で可憐に咲いている。

正午、庭園を後にし、500mほど先にある傳通院(でんづういん)へ回ってみようと歩きだす。が、途中、迷ってしまう。仕方なく通りかかりのサラリーマンにお聞きすると、「う〜、ここをまっすぐ、いや少しわかりにくいから車でお連れしましょう」と。昼どきの貴重な時間を割いて車を走らせてくださった。寺前に降り立った時、なんと親切な方なんだろうと心から感謝した。
文京区小石川にある傳通院は、徳川将軍家の菩提寺で、江戸三十三箇所観音札所の第十。寺内に咲く桜も木蓮も満開であった。

            春の心

昨夜の雨で空も曇り泣きました
あなたの瞳も曇りました
でも、春雨が空を蘇らせ
今朝、桜が不思議な光を放ちながら
開花を見つめる者に微笑みました
らら、楽しく踊ろう〜
らら、喜びに震えよう〜と
春の心が私たちの胸を明るくしました

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 小石川後楽園

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通天橋(つうてんきょう)

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得仁堂(とくじんどう)

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円月橋

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屏風岩

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わせた延段(のべだん)

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ボケのはな

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シャクナゲ

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稲田

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九八屋

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舟着

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傳通院(でんづういん)・山門から

posted by 森 すえ at 16:39| Comment(8) | TrackBack(0) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月24日

関東周辺をぐるり散策・殿が谷戸庭園(とのがやとていえん)

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 先だって、そぼふる雨の六義園で風情ある散策を楽しんだが、今日は晴れ、晴れ女には嬉しい日和。さあ、武蔵野の野草と湧水の庭、殿が谷戸庭園(とのがやとていえん)へ行ってみようと、国分寺駅に降り立つ。百貨店や商店が並ぶ駅前を抜け、数分歩くと殿ヶ谷戸庭園に到着。これは近い!!

殿が谷戸庭園の名称は、昔この地が「国分寺村殿が谷戸」という地名であったことに由来するが、 武蔵野段丘崖と、その下端付近から浸水する湧水を利用し、雑木林の風情を生かして作られた別荘庭園である。
庭園の成り立ちは、南満州鉄道総裁であった江口定篠(えぐちさだえ)は、大正2年、この地に別荘を構えるも、昭和4年、三菱合資会社の岩崎彦弥太(いわさきひこやた)がこの別荘を買い取り「国分寺の家」として親しむ。 昭和9年、和洋折衷の木造に建て替え、紅葉亭を新築。と、この庭園も岩崎家が関わっている。

紅葉亭は数奇造り風の茶室。池にかかる見事なイロハモミジの紅葉が見下ろせ、階段状の崖下には、湧水からなる「池次郎弁天池」がある。まるい水盤のなかへと水が静かに流れ落ち、それを待ち受ける下の水と混ざり合って光り、池の周辺にはモミジなどの樹木が繁り、湧水と木々に特徴がある庭園で、華麗さと渋さが水面に映る。

今日は晴れと言っても、霧がかり視界がすっきりしないが、ベールをかぶった庭もまた良しと進んでいくと、紅葉亭のすぐわきに、井戸水を利用した「鹿おどし」がある。竹にそそぐ澄んだ水音、清水の潔さ、石を打つ竹の響き、本来はシカやイノシシを追い払うために造られたが、今、霧がかった空気を払拭するような響きに聞こえるなんて、私、風流人じやないよね!!

次郎弁天池をぐるりと回ると、カタクリの群生地へ。まだ蕾が多いが、久しぶりに出会ったカタクリの花に、カメラをもつ両手が嬉々と動く。それに、なんと霧が晴れあがり、柔らかな陽がす〜と。まるで神の恵みをうけたカタクリのよう。
ああ、なんと美しいこと!!この花を見たさにやってきたんだよと、我を忘れて見つめる。季節によっては、キツネカミソリ、ホトトギスなど数十種類の山野草が咲きほころび、うっとり見とれるのだろうが、今はさまざまの花の姿を目に浮かべるだけ。だが、カタクリや梅に出合ったのだから満足しょうと、にっこり。

庭園内を彩る5月が見頃のフジの花、秋を彩る小さな紫の萩などを見やりながら竹の小径へ。竹は、一節、割れ目を入れると、そのまま勢いよく割れる、割れ目がまっすぐなことから「破竹の勢い」って言葉もあり、竹を割ったような性格とか、一気に突っ走る生き様に竹がよく登場する。確かに竹を見ていると、雪の重みにも、風にも折れないしなやかさと強さを感じる。

国分寺駅でコーヒータイム。時刻はまだ10時30分で帰宅するには早すぎる。そうだ、「お鷹の道(おたかのみち)」を散策しょう〜と、駅前の交番で道を聞く。年配の巡査さんが親切に教えてくださり、ついでに「歩ける時にしっかり歩き、お金も使えるうちに使いなさい」って。はぁ??まあ、そうですねと頷きながら、1000m先のお鷹の道へと向かう。

「お鷹の道」は、1973年から1974年にかけて国分寺市が遊歩道として整備された350メートルほどの小道で、ホタルが舞う清流沿いに造られた散策コースになっている。地図にも載らないほどの細道で、所々、家々のすぐ脇を抜けてゆくところもあるが、一帯は木々が茂って緑濃く、静かな佇まい。

清流に沿ってお鷹の道を西へ進むと、雑木林の中に「真姿の池(ますがたのいけ)」がある。ひっそりと水を湛え、静けさに包まれた池の中央に、小さな島があり弁財天が祀つられている。昔から湧水の恵みを受けてきた人々が祀ったものらしい。澄んだ池の水の中で鯉がすいすい〜。

「真姿の池」は、不治の病に苦しんでいた玉造小町(たまつくりこまち)という女性が、国分寺に参詣したところ、1人の童子が現われて、近くにあるこの池の水で身を清めるようにと告げられ、その通りにしたところ、病が治り、美しい姿に戻ったという伝説があるという。

真姿の池から、さらにお鷹の道を西へ進むと、市名の由来ともなっている、「国分寺(こくぶんじ)」にたどり着く。江戸時代(1733年)に復興された新しい国分寺だが、境内には薬師堂、万葉植物園がありとても風情がある。
武蔵国分寺跡に回ると、立ち入り自由自在で開放的。歴史上重要な史跡というものは、たいてい柵で囲われていたり、入場料必要とするものだが、国分寺、国分寺跡は出入り自由で無料。地元の人々が散策したり、子どもが遊び回ったりと開放的。いいね!!

  国分尼寺跡の先、武蔵野線の線路沿いの高台には、旧鎌倉街道上の道の切通しが残されている。多分、道の両側に鬱蒼とした草木が生い茂り、薄暗く、空気も涼やかな道を、鎌倉時代の武士たちは、駆けて将軍のもとへ向かったのだろう。うぉぉ、興味あるコース。歩いてみたいなぁ〜と思う。が、今日はこのぐらいにして、又のお楽しみと西国分寺駅へと・・・。

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殿が谷戸庭園(とのがやとていえん) 

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「鹿おどし」

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紅葉亭

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次郎弁天池

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木瓜

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カタクリの花

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キクザケイチゲ

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フッキソウ

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萩のトンネル

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ベニチドリ

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オモイノママ

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カンヒザクラ

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シデコブシ 

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お鷹の道

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ホタルが舞う清流

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真姿の池

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国分寺

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国分寺仁王門

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2015年03月19日

第23回・岐阜県文芸祭入選作品・森 すえ

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先だってご紹介させていただいた、第23回岐阜県文芸祭の随筆部門に入選した私の作品「3月11日・青年はストップした」の作品集が届きましたので、このページで私の作品を掲載したいと思います。最後に私の作品の評と、現地を訪れた2011年7月17日撮影の写真も合わせて掲載させていただきます。

岐阜県では「知」「創」「「伝」の三つからなる「清流の国ぎふ憲章」を策定し、文化の振興は国造りの重要な一翼を担うものとされ、清流に恵まれた文化を知り学び、新たな文化を創造・発信し、その文化を故郷の宝ものとして次世代に伝えたい、県民の安らぎと豊かさを実感できる地域社会を目指すとされます。

  「 三月十一日、青年はストップした 」 森 すえ

七月十七日、私は仙台駅のホームに降り立った。遠くの方からお囃子の奏でる音が聞こえる。震災で受けたダメージの払拭と、復興に向けて走りだした元気な姿をアッピールするため、夏祭りの先取りが実地されていたのであるが、私が仙台に出向いたのは、そんな華やかな祭り見物ではなく、津波で亡くなられた二十七歳の青年Tさんの「現地お別れ会」に出席するためであった。 私と青年Tさんとは面識もなく、電話でお話をしたこともなかったが、父親のMさんとは長年にわたり親交があったので、息子さんのお別れ会に参列させて頂くことになった。

会場の中央の壁にTさんの写真が飾られ、花々が優しさを添え、側面の壁には、Tさんの似顔絵が。友人、知人のメッセージ、「泣いてたまるか!」「ありがとう」「感謝」などの言葉がいっぱい。その下に石の地蔵さまがニッコリ微笑む。そして、Tさんの魂を呼び寄せるかのように、愛用のヘルメット、幼い頃の玩具、アルバムなどがずらりと並ぶ。

お別れ会は、親交の厚かった人々の挨拶から始まり、最後にTさんと親しかった女性が「贈る言葉」を。大学時代の思い出の場面を、胸に響かせながら、哀しみをこらえ、静かに語られる。その姿は優しく美しい。そう、二人の間には素的なロマンがあった。愛によってのみ人は自然な安らぎに近づけるとするならば、彼女の愛ある言葉でTさんは微笑んでいるに違いない。 お別れ会の半ば、ミュージシャンの演奏が始まり、「上を向いて歩こう」を合唱。音楽の力で寂しさが薄らぎ、いいようのない精神の高まりを感じる。最後に父親のMさんがギターを爪弾きながらご挨拶。会場には終始ユーモアあり、哀しみがあり音楽があった。

翌朝、ホテルで、「なでしこジャパン」がPK戦のすえに米国代表を破り、初優勝したことを知る。彼女たちの「最後まであきらめない」の言葉は、今の日本の混迷状態にこれほど意味のある言葉はあるまいが、亡くなったTさんとて同じ。荒れ狂う水の波に飲み込まれながらも、最後まで生きることをあきらめなかったに違いないと思うと胸が詰まった。

父親のMさんと、被災地である閖上(ゆりあげ)に入ると、閖上の風景は雑草と瓦礫だけ。流された舟が道路に乗り上げ、半壊の建物が点々と。黒い津波がビニールハウスや家々を破壊し消し去っていた。

小学校も廃墟。ピアノ一台がぽつんとある校庭から体育館に入ると、流されたランドセル、賞状、トロフィーや玩具などいろんな物が再び舞い戻り、積みあがっているが、ボランティアさんが、丁寧に整理されている。

閖上の「閖」という字は,辞書に載っていない珍字。古来この地は「浜にいかだに乗った観音像が揺り上げられた」との伝説から、「ゆりあげ浜」と呼ばれていたが、後になって伊達綱宗公が,大年寺に参拝した帰路,海岸の波打つ浜をご覧になり,「門の中から水が見えるので門の中に水と書いて閖上(ゆりあげ)と命名したと聞く。響きある良い名だと思いつつ、Tさんの仕事場へと向かったが、やはり建物はなく跡地だった。

運河にそそぐ小川沿いを歩いていると、Mさんが「この小川で息子が死んでいたのです」と呟きながら、雑草の生える一角に「石の地藏さま」を置かれた。苦悩する人々を無限の大慈悲で包み込む地藏さまに、息子さんの鎮魂を託されたのだと思う。少し離れた瓦礫の中に、焼け爛れたTさんの愛車があった。

Mさんは毎朝、息子さんに携帯メールを送信し、無言の返信をすぐさま受信。それは何の意味もないのだろうが、息子さんに合図しつづけるのは、翔び去った息子さんの肩に触れんともがき、淡い影を背負わんと追いすがる親の愛情なのかもしれない。

矢車草が瓦礫の間から顔を出し花を咲かせている。その花に近づき水遣りをされるMさんの背にさす陽光が微かに揺れ、まるで息子さんの魂が密着しているようだった。きっと息子さんは、この花の中、陽の中、Mさんの体の中に生き、親子の絆は時空を越えて結ばれているに違いない。 今、私たちは両手を広げTさんの魂の響きを受け止め、Tさんの分まで成長していくしかない。これ以上、Tさんを哀しみの涙で沈めてはいけないと、崩折れながらも頑張っておられるMさんに声をかけていくしかない。

ーーーーーーーーー以下は私への評ですーーーーーー

「パソコン教室の講座の中で、震災前と後の光景を閖上(ゆりあげ)に焦点を当て、「忘れないでおきましょう」と、受講生さんに訴えていた私には、作者の気持ちが伝わりすぎて胸が痛い。かけがえのない息子さんをなくした父親とあれば、さらに悲しく辛かろう。「どうか、くじけないで」との作者の深い思いが、読む者にまで訴えかけて来るような優れた作品です。

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Tさんの似顔絵

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Tさんの愛用のしなじな

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閖上(ゆりあげ)小学校

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流されたいろんな物が再び舞い戻り積み上げられている

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閖上中学校

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Mさんが植えた矢車草

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廃墟の中で育つトマト

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運河にそそぐ小川沿い

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Tさんの愛車

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運河沿いの道は海へ続く・・

運河にそそぐ小川でTさんは亡くなられた。
泳げないほど広い川ではない、一瞬に襲われたTさんにはどうすることもできなかったのだろう。もしも小舟があれば漕いで助けに行きたい、翼があればTさんのもとへ翔んでいきたいと・・今もMさんは思われていることでしょう。

posted by 森 すえ at 13:27| Comment(19) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

関東周辺をぐるり散策・雨の六義園(りくぎえん)

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友人と久しぶりに庭園を散策しょうと約束したが、当日は雨。氷雨の通り過ぎるのを待つまでもなく、一日中、しとしと雨は続きそう〜。さあ、雨にもめげず庭園へ、六義園(りくぎえん)へ。
青森生まれの友人は、この雲に包まれた灰色風景が好きなようで、しきりに風情があるとつぶやくが、大阪生まれの私は、やはり晴れに惹かれる。が、これも又良しと楽しく歩きだすと、知らず知らず、どんより風景に引き込まれたのか、木々をじっと見つめては、立ち止まり写真をパチリ。はい、ポーズと、そんな瞬間が輝きだす・・・。

六義園は五代将軍。徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が、元禄15(1702)年に築園した。和歌の趣味を基調とする「回遊式筑山泉水」の庭園で、江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもの。明治時代に入って、三菱の創業者の岩崎彌太郎の別邸になり、その後、昭和13年に東京都に寄付され、昭和28年、国の特別名勝に指定された貴重な文化財となる。

六義園の名は、中国の詩の六義にならった古今集の序にある和歌の分類の六体(そえ歌、かぞえ歌、たとえ歌、なぞらえ歌、ただごと歌、いわい歌)に由来したとある。

庭園の中心に入るため、内定大門を通り抜けると、シダレザクラ(枝垂桜)の大木に出会える。六義園は、和歌の心息づく雅な大名庭園だが、特にシダレザクラが有名。昭和30年代に、東京都によって植栽された桜で、樹齢はまだ60〜70年。高さ約15m、幅は約20mと大きく、形もよく成長している。満開時の薄紅色の滝のような姿は圧巻。 ・・・と言うわけだが、今はつぼみで開花には程遠い。ましてや雨が冷やかに木の枝をゆすり、春色は幹のなかでうごめいているって感じ。4年前に眺めた見事なシダレザクラを思い出し、春爛漫の六義園もいいよ〜と友人に勧める。

庭園の中央に大きな池(大泉水)があり、中央に典型的なアーチ型の島、蓬莱島(ほうらいじま)や、中の島の築山(妹山、背山)がある。古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼び、この築山は男女の間がらを表しているそう。
池を囲むように茶屋、石柱、峠、小道、橋が華麗な庭園への道筋を醸す役目を担う。池をめぐる路を歩きながら、この庭園は季節の移ろいを、繊細な美的感覚で風流に造られていると実感する。

吹上茶でお抹茶と桜餅で一服。雨や曇りでも、傘を差しながらの訪問者も結構多い。外国人、学生、カメラマンンに、私たちのような仲良し二人連れとか。みんな雅な庭園に惹かれるのだろう。もうすぐ桜、こぶし、ヤマブキ、ミツバツツジなどが咲き、さらに多くの人々でにぎわう。友人いわく、閑静な庭園を歩けてよかった!って。私はやはり明るいほうが好きだけど・・・ね。
さあ、昼食、上野に回りピザを頂こう〜。

上野の桜はまだつぼみ。あと数週間かかるが、カンザクラ、河津サクラは綺麗に咲いている。花見を楽しみながら不忍池のほとりにある「下町風俗資料館」へ入る。 大正時代、江戸時代の風情をとどめる東京・下町の街並みが再現されている。
狭い路地に囲まれた裏店の長屋の井戸、駄菓子屋、風呂屋などの光景や、下町地域にゆかりの資料なども展示。

生活道具、玩具など、時代とともに大きく変化して、ともに忘れられたもの、消え去ったもの、姿を変えたものなどさまざまだが、そんなに遠くない昔の下町風景を、そのまま今に伝え、古き良き下町文化を、長く後世に伝えるのを趣旨とされる。そう下町庶民の歴史。

友人と話し合う。大阪の下町も青森も、上野の下町風景と似たり寄ったりねぇと、懐かしむ。大正12年の関東大震災、昭和20年の戦災によって、ほとんどその面影をなくしたが、その後、目覚ましい復興、再開発が進められ街もすっかり変化。そこで、下町を愛する人々の間に、古い時代の文化を伝えたい思いがつのる。

素朴で哀愁に満ちた展示に共鳴。古き良き時代は、すべてありのままの姿で暮らしていた。無造作に、何の技巧もなく、まったくの自然の姿で資料館に再登場。みんなに待たれ、望まれながらであったのだろう。窓から不忍池が見える。ほっとするひと時、平凡な昼下がりだったが、とても楽しかった。

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枝垂れ桜

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2011年4月に撮影したシダレザクラ

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ツツジ茶屋

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吹上茶屋で

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上野・河津サクラ

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下町風俗資料館

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2015年03月05日

関東周辺をぐるり散策・井の頭自然文化園へ

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三月三日はお雛祭りの日。女子のすこやかな成長を祈る節句の行事として、わが娘も幼き頃、毎年、雛壇を飾っていた。娘が自立し、我が家から巣立った後も、数年は、桃の花を飾り白酒や寿司などで楽しんだものだった・・・。ああ、微笑み、くったくのない微笑み、私たちの微笑み、それが幸せの微笑みとして、長年生き続けてきたのを・・・春の香りを吸うたび懐かしく思い出す。

もの静かなひな祭りの今日、私は思う。あの頃の微笑みの追憶はまだまだ心の中にある。それで満足としょう。さあ、元気を出して、動物好きの娘とたまに出かけた「井の頭(いのがしら)自然文化園」あたりを散策しょう。

井の頭公園は河畔に桜の咲くころの風情が有名だが、武蔵野の面影を残す雑木林を歩くのもおつなもの。足の向くまま気の向くまま、木々の高い林の中で道に迷いながら歩いて行くと、はっと感じる光景に出合える。

この公園の中心は自然文化園。生物園と動物園などいくつかのエリアに特徴がある。先ず「水辺の小道を歩きながら、ハクチョウ、カモ、カリガネ、オシドリ、サギ、その鳥たちの卵など見て回る。 9時30分の開園と同時に入ったので、鳥たちも寒そうだが、それでも餌の匂いに敏感に反応し元気よく駆け寄っていく。

梅林を通り抜けると「動物園」があり、大放飼場では、ヤクシカ、二ホンコウノトリが。モルモットふれあいコーナーでは、園児がそれぞれの膝にモルモットをのせ、なでなでしている。動物の鼓動やぬくもりを感じているのだろう。私も園児に混じってモルモットを抱っこ。 ヤマアラシ、マーラ、ペンギン、ヤギ、カピバラ、ハクビシン、フエネック、それに、寒そうにしているアジア象はな子。じっとしている姿を眺め、暖かい大空の下へ出て行きたいだろうなぁ〜、と思う。

10歳のタヌキ。この老齢のタヌキは、日向ぼっこが大好きで、日中は陽に当たりながら昼寝をする。そうそ、静かに見守りましょう。 リスの小径は、リスが自由に暮らす空間で、小さな小屋や木々が植えられている。リス君、ピョンピョンと木から木へ、巣箱〜巣箱へと飛び回る。

園内には「赤い靴、しゃぼん玉、波浮の港」など、童謡詩人として名声を博した野口雨情の旧書斎がある。1992年に吉祥寺に居を定め、書斎を「童心居」と名称。こじんまりとした構えで落ち着く雰囲気が漂っている。庭に水琴窟(すいきんくつ)もある。
水琴窟とは、地下に洞窟を造り、中に水滴を落として水音を反響させ、地上に漏れてくるかすかな響きを楽しむためのものだが、ここのは、洞窟の代わりに壺で、より幽玄音色を醸している。

雪つり、霜よけは大雪や寒さから木を守るための伝統的方法。この文化園の雪つりは、農園芸職員が一から手作りしたもの。木の一本、一本にもあたたかく気配りされている。

最後に椿園へ。ここの椿は「江戸椿」と言われる品種の一群。そのもととなった「ヤブ椿」は、日本の気候、風土に適合したもっとも育てやすい椿。江戸時代、徳川二代目・秀忠公は、全国からそれらの美しい椿花や、珍種を集め区域内に植えさせたそう。

さあ、お雛様は見れなかったが、公園のなかで、かわいい動物、力強い生き物、お花を愛でた。ボートを漕ぐ若者二人が大きく手を振ってる「写してくれてありがとう!!」だって。元気がいいね!!池に映る私の目には、過ぎ去った月日、未来の形姿への祈りが・・・。は〜い、こちらこそありがとうございます!!

追記:寒い日であったが、帰宅すると、岐阜県教育文化財団から「随筆・入賞入選証」が届いていた。昨年のクリスマスの日に、入選の知らせがあり、ひな祭りの日に賞状を頂いた。
作品名は「3月11日・青年はストップした」。

2011年3月11日の東日本大震災の折、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)で働いていた27歳の青年が津波に飲み込まれなくなった。
悲しい閖上の記憶を綴った作品であった。入賞作品集が出版されるので、一人でも多くの方に青年の魂に触れていただけるのが嬉しい。ぉぉ〜いいね!このように、ひな祭りの日は、心からの感謝をいくつも重ねた日でもあった。

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井の頭公園

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シジュウカラザン

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井の頭動物園・文化園

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モルモットを愛でる子どもたち

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アライグマ

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マーラ

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ヤクシカ

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アカギツネ

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アナグマ

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二ホンアナグマ

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キタマラドリ

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雪つり

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童心居(野口雨情の書斎)

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水琴窟

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ホオノキ(樹高は25〜30m。直径は1uになり、
葉は大杉で飯や餅などを包んでいた)

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posted by 森 すえ at 08:34| Comment(12) | TrackBack(0) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする