2015年02月24日

関東周辺をぐるり散策・神代(じんだい)植物公園へ

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武蔵野の面影を残す神代植物公園では、四季を通じ草木の姿や花の美しさを味わうことができる。この公園は元来、東京の街路樹などを育てるための苗圃であったが、戦後、神代緑地として公開され、そして、昭和36年に神代植物公園と改め、都内唯一の植物公園として開園される。

約4,800種類、10万株の樹木が植えられている園内には、バラ園、ツツジ園、ウメ園、ハギ園など植物の種類ごとに分かれ、景色を眺めながら植物の知識を得ることができる。また、日本古来の園芸植物の品種の保存や植物・園芸に関する催しや 展示会なども開かれている。

昭和59年には大温室が完成し、珍しい熱帯の植物が集められ、冬も彩り鮮やかな花々を も鑑賞できる。特に私は池に映る蓮の姿にうっとりするのだが・・・ただ今、改修・増築工事中。来春まで大温室は休館中。残念!

というわけで、この植物園ではバラエティに富んだ美しい花が咲くが、バラは格別うるわしい。春めいてきたとはいえまだ寒く、三寒四温の昨日今日、バラの姿はない。今は梅、オトメツバキ、クリスマスローズ、コウバイ,セツブンソウ,ツバキ、ハクバイ、フクジュソウ、ヤブツバキ、ニオイカントウ、ザゼンソウなどが、冬と春の空間を盛り立てるように開花し早春の風景を飾る。

2月19日は中国の2015年の春節であった。ああ〜もう春!と暖かい息吹を感じながら春の花を愛でようと神代植物公園へと。

早、咲き始めた「サンシユウ」に小躍りし、黄色のフクジュソウに、恋人に出会ったような愛を感じ、クリスマスローズの群生に思わず微笑む。クリスマスローズの花言葉「追憶、私を忘れないで、慰め」には、心ときめかないが、心の奥底に秘めた苦悩を訴えるような姿、密かに花弁を開く姿に奥ゆかしさを感じる。

早春の落葉樹の中で目立つマンサクをパチリ。マンサクの語源は「先ず咲く」らしいが、葉に先立って咲く黄色いリボン状の4枚の花弁に、うぅぅ〜いいね!と、思わず引き寄せられる。

梅園、椿園、さざんか園には大勢のカメラマンが、見事な花を眺めては、しばし放心し、やおらパチパチと写す。そう、陽気な天気なので誰しも急ぐ風でない。上空を流れる暖かい風が、陽射しの流れが、みんなの手元にも流れ、冬の強ばった神経を緩和するかのよう。 私も同様、大きな空の下から、のびやかに伸びた枝先の梅を見つめていたが、突然、「今日はニコンの写真会ですか?」と、見知らぬ人から声がかかる。「いえ、知りませんが私は独りでして・・・。」ふと、周りを見れば確かにニコンのカメラを携えた人が多い。

声をかけた人は、公園管理に協力されているボランティアさん。思わず「あのぉ、私の写真を1枚撮って頂けませんか?」って依頼。ボランティアさん、はい、いいですとも!!と、OK.。

梅を楽しんだ後、園を出る。隣接する深大寺(じんだいじ)へと回る前に、まず「深大寺蕎麦」を昼食に。深大寺は天台宗の寺院で、都内では浅草寺に次ぐ歴史を持っている古寺で有名だが、深大寺蕎麦も負けず劣らず有名。
昔、上野の寛永寺に、蕎麦を献上したことが始まりと言われ、深大寺の周辺には多くの蕎麦処がある。私は焚火のそばで「天ぷら蕎麦」を頂き、心身ともどもリフレッシュ!

足取りも軽やかに深大寺にお参りし、寺前で大好物の「みたらし団子」をパクリ。花より団子とは、風流よりも実益を重んじることかな!?って微笑みながらパクリ。花も団子も大好きな私ゆえ、団子にも目がない。
さあ、この周りの静けさに聞き入りながら散策しよう〜。

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神代植物公園

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ニオイカントウ

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クリスマスローズ

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フクジュソウ

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サンシユウ

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玉牡丹(タマボタン)

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白難波(シロナンバ)

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大盃(オオサカズキ)

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森の関

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連久

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唐梅(トウバイ)

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紅鶴

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マンサク

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深大寺蕎麦処

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深大寺前通り

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深大寺

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2015年02月17日

沖縄・久米島への旅(その3)



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翌朝、比屋定バンタの展望台へ。パンダとは方言で崖や端のこと。展望台に立ってみると、右側には延々12kmも青海原を突っ切って延びているサンゴ礁、その隣に横たわる白砂の美しい「はての浜」が遠望でき、眼下にはエメラルドグリーンの海と海岸線が見渡せる。その日は、霞んですっきりとは見渡せなかったが、空と海を二分する水平線の輝きは視界を遠くへと運び・・・、海抜200mの断絶壁から、夕日の沈みゆく光景が瞼に浮かび、また朝が来るのをじっと待っていたくなる・・・。

次に久米島紬の「エイマール館」へ。職人が鍛錬し続ける手技と心、ふくよかな人生が作り出す久米島紬の起こりは15世紀の後半。「堂の比屋」なる人物が、中国の養蚕技術を広めたのが久米島紬の始まり。紬絣技法は久米島を起点に発達し、沖縄本島、奄美大島を経て本土に伝えられた。現在も久米島紬は伝統を大事に守り、手から手へとつなげ、新しいデザインにもチャレンジ。
その「わざと美」は、まさに伝承と創造の紬の世界。

久米島紬は、純粋な植物染料と泥藍の深い茶の色調で、特殊な風合いと着心地の良さが特徴。染料は久米島に自生する植物であるサルトリイバラ(グール)、車倫梅(ティカチ)、ヤマモモ、ユウナ、フクギなどを細かく割り、長時間かけて煎じた染液に糸を浸け、1日5〜7回染めては干し、干しては染めを10日間ほど続け、泥媒染を加える。媒染に使う泥は鉄分を含んだ特殊なもので、このような工程を数回繰り返して久米島紬特有の渋い赤みを帯びた黒褐色を得ることができる。

糸紡ぎからはじまり、図案、種糸の作成、糊張り、糸括り、染色、製織り、きぬた打ちなど全行程を分業体制をとらず一人の織り子が、複雑な手作業で久米島紬を創生する。久米島紬のわざと美には、久米島人の真心も詰まっている。

次の見学は久米島産・海ぶどうの養殖場。沖縄県トップの生産量を誇る久米島で養殖す「海ぶどう」の、種の植え付けから出荷されるまでの工程を見学。久米島海洋深層水から作られているので、ミネラル豊富で美容健康に良く美味しい。はい、プチプチ感がたまらない。ご飯の上に海ぶどう、とろろ、卵をのせ丼にすると最高に美味しい。うい〜、低カロリーでヘルシー!!

次に、仲里間切り蔵元跡(なかさとまきりくらもとあと)」へ。琉球王朝時代、仲里間切の蔵元(役所)があったところ。敷地面積は532 坪。1763年頃築かれた石垣はすべて珊瑚石灰岩で、高さは平均で3m前後、厚さは下が約1.8m。正門には、役場が比嘉に移る(大正13 年頃)まで四脚門の屋門があった。北側と西側にあるアーチ型の通用門など構造的にとても美しい。現在、この無言の蔵元跡は、子どもたちの遊び場となり、アーチ型の門の向こうには小学校があり、子どもたちの笑顔が歴史を伝えている。

真謝地区にあるフクギ並木を散策。樹齢200 年以上、並木の長さは40m、幅3m、高さ6mの福木がいつ頃植えられたのかは不明だが、宇根と真謝の間に道路を切り開いた際に、老木を取り除き、福木を植えて囲いとしたとある。久米島でよく見かける福木(フクギ)は、防火防風のため屋敷や集落を取り囲むように人工的に植えられたもので、屋敷の防風林である。確かに、島中を散策していると、強い海風、大海からの息吹きを時たま感じる。

久米島町奥武島の畳石(おうしまのたたみいし)へ。 畳石は、奥武島海岸にある六角状の岩石群で、600万年前に噴火した溶岩が冷え固まるときにできた割れ目で、珍しい現象。 表面は波の浸食を受け、六角の畳を敷き詰めたような景観から畳石とも、亀の甲羅のような形から[かめこう]石とも。その範囲は南北50m、長さ250m位で、直径1m前後のものが約1千個あるといわれる。白砂が美しく、潮溜りに魚もいる。亀石の上に立ち、はるか遠くから吹き寄せる風を受けながら、亀裂(きれつ)って亀の甲羅が裂けてはなれた ような状態を言うのかな?ってふと思い、あれれ〜、あわてて砂地へ・・・

翌朝、雨の後曇り。寒い日となるが「はての浜」へ。 久米島の東5kmの所にある砂浜だけの無人島「はての浜」の人気は格別で、360°エメラルドグリーンの海と真っ白な砂浜が美しく、まさに南国の癒し空間そのもの。 「はての浜」は3つの砂浜 からできていて、メーヌ浜、ナカノ浜、はてなの浜。この3つの砂の島を合わせて「はての浜」と呼ばれるが、赤土など陸地の影響を受けないので、海が生み出す砂の白さそのまま。
グラスボートに乗ってさあ、GO-!!途中サンゴ礁やウミガメを見ながら、20分後、ナカノ浜に上陸!

島の美しい香りが漂う真っ白い砂浜。まさに無人島に流れ着いたよう。ああ、美しい島よ!思い起こせば、南太平洋に浮かぶトンガ王国でもこのような美しい島が無数にあった。20年前の忘れられない記憶が、ふわふわしたこの島で再び浮かび上がる。私からあの時が消えてなくなることはなく、感動した時は失われることもない。あの時、この時、美しい島で育んだ夢は、これからも大きく波を乗り越えていくだろう。そう、その夢に顔をそむけない限り・・・

こうして暖かな風に愛されながら、私の瞳はのびやかに動く。屋根の上の水タンク、壊れたライトバンの山羊の家、サトウキビ畑、ひまわりの花、コスモス、朝顔、店先のシーサー、限りなく澄み渡る久米仙の泡盛・・・。小さな島ゆえ、見どころは多くはないよう〜、だが、島風景の余韻は鮮やかに残る。緩やかな時の刻みに、私の手足、心臓は完全に開き、あらゆる光景に呼応。何かを求めようとしない自然体で、短い旅は終わりへと・・・。

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朝暘・ホテルから

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比屋定バンタの展望台

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ガイドさんと

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久米島紬の「エイマール館」

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海ぶどうの養殖場

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山羊のハウス

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仲里間切り蔵元跡(なかさとまきりくらもとあと)

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福木(フクギ)

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奥武島の畳石(おうしまのたたみいし)

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はての浜へ向かう

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海の魚

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はての浜

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2015年02月13日

沖縄・久米島への旅(その2)

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次なる見学地は車エビの養殖場。久米島クルマエビの漁獲高は日本一だけあって、あまみやとろみ、食感など味わいは格別とのこと。確かに試食をすると、ぷりぷりの歯ごたえと甘みがあり殻まで美味しい。大海原に面し、黒潮の恩恵を受けていること、新鮮な海水が巡る中で、養殖池の水の入れ替えをこまめに行うなどが美味しさの秘訣らしい。無論、エサの工夫や潜水観察による健康管理にも気配りいっぱい、愛情いっぱい!
群がるエビの内部をのぞきこみ、あまりの新鮮さに驚き、その果てに「これぞ水と人が育てる美味なるもの」と微笑む。

次なる観光地は「おばけ坂」。坂の勾配を変えることによって上り坂に見えるのが、実際は下り坂。いわゆる目の錯覚を利用した坂道で、ボール、車輪などを転がすと良くわかる。ガイドさんが車輪を上り坂らしき道に転ばしたが、間もなく車輪は下ってきた。そこで下り坂ってことが一目瞭然。次にバスで実験。ブレーキをかけないまま停車をすると、何かに 引っ張られるように下へ下へと走り出す・・・。これって坂道錯視と呼ばれる現象で、周りの風景により、上り坂か下り坂かを認識できなくなってしまうことのよう。無論、視力の良しあしは関係ないが、遠くまで良く見える私には、上り、下りとちと目が回る・・・。

はい、次は琉球王朝時代の旧家である「上江洲家」の見学。金糸やお茶の栽培、紬の製法を普及させるなど、島の発展に大きく貢献し、 具志川間切地頭代[ぐしかわまぎりじとうだい]を勤める要職にあった屋敷。1754に建築されたが、当時は母屋と下屋[とんぐゎ]が隣接して建てられていたが、その後、瓦葺や瓦に改められ、現在の建物は当初の建築で木造平家建。茅葺きから雨端瓦ぶき、総体瓦葺となっている。

屋敷の周囲は立派な石垣で囲われており、「石垣殿内[どぅんち]の南側の表門を通ると、石牆[せきしょう]のひんぷん(ガジュマルの巨木)が聳え、北側及び石垣の東西は福木(フクギ)に囲まれている。琉球王国時代の民家の屋敷構えだが、石垣がとても綺麗で雰囲気も良い。が、何よりも屋敷のガイド「おばぁ」の説明が楽しくなかなか味がある。

海を越えて交易を行い、歴史を育んできた島民らしく、おばぁの好奇心あふれる気質かもろに出ていて面白い。地理や文化、教育、さらに子供の育て方まで流暢に話される。まるで昔吹いた風の便りのなかをゆくかのような明快な記憶と、心理をついた話に黙って聞き入るのみ。こうして地元の人とのやりとりから、昔懐かしい久米島の話や笑顔に出会い、こころがゆるゆると解放されていくのを実感する。

「五枝の松」の見学。樹齢250 年にもなるリュウキュウ松は、18 世紀初頭に植えられたもので、高さ約6m・幹周り約4.3m 。通常の松は上に向かって伸びるが、このリュウキュウ松は地面を覆うように広がりながら成長し、その面積は250 uにもなる。特徴としては、幹の根元から枝が分岐し地面を這うように広がり、波打って伸びる姿は美しくまるで巨大な盆栽のよう。

木の真下まで遊歩道が伸びているので、大きな枝に包まれている様な不思議な気分に浸りながら、松の中に設けられている社に参拝。この五枝の松はいっさい剪定されずにここまで大きく育ったらしい。松園地内には、かつて水道が普及するまで人々が生活用水の基盤とし て使用していた井戸も残っており、松の香り、公園の静けさに聞き入りながら当時の面影をしのぶ。

さあ、宿泊ホテルへ向かおう〜。 このホテルは東北楽天の野球チームの宿泊ホテルでもあり、絶景の海原が臨める。どこまでも続く透明な海を眺め、ここには都会にあるものより、ないもののほうが多いと感じるが、都会暮らしの私たちが持っていないたくさんのものを、大切なもの、豊かな自然の富を持っているよう。 さあ、夕暮れの海岸を歩いてみよう〜。

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車エビの養殖場

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久米島クルマエビ

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琉球王朝時代の旧家・上江洲家

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「おばぁ」と

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福木(フクギ)

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五枝の松

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生活用水の井戸

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ホテル前のシーサー

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     (次回の更新は2月17日の予定です)

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2015年02月09日

沖縄・久米島への旅(その1)

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立春の1週間前、春の足音を感じるも東京はまだ寒い。心がスカッと晴れる癒しの地を求め、沖縄の久米島へ旅をすることに。久米島は潤いの島、水の島として知られるが、起伏に富んだ島は、手つかずの自然が残る山も点在し、恵みの雨は山に沁み込み天然ミネラルもたっぷり。清らかな水は、山中のあちらこちらから、こんこんと湧き出る山が育てた清水である。

久米島の周囲が1,000m級の深い海に囲まれてることもあり、近海の黒潮海流が豊かな魚場となり、数多い熱帯魚だけでなくザトウクジラ、キハダマグロの釣りにも最適。又、イルカ・マンタなどダイバーをわくわくさせている。

歴史的に眺めても古く、琉球王朝時代の久米島は、中国をはじめ、東南アジアや朝鮮、日本との貿易の寄港地として栄えていた。が、何よりも琉球列島の中でもっとも美しい島であることから、球美の島とも呼ばれ、昭和58年に島全体が県立自然公園に指定されている。

久米島は、沖縄本島那覇市の西方約100Kmの東シナ海に位置し、久米島本島及び奥武島・オーハ島の有人離島、そして鳥島・硫黄鳥島などの無人島から構成され、北部から中央地にかけて、宇江城岳・大岳などが連なる。南部はアーラ岳を中心とする山地で、海岸に向かって緩やかな傾斜地は耕地として利用され、島の南西海岸は緩やかな砂丘海岸。北西海岸には、発達した珊瑚礁が延び、久米島を取り囲むように形成されている。

又、イーフビーチや「はての浜」などサンゴでできた真っ白な砂とコバルトブルーだけの砂州が美しい海浜地帯もある。

久米島の年間平均気温22.7℃。年間降水量2,138,0mm、年間平均湿度76.0%など、久米島は1年間を通し温暖な気候に恵まれる島。久米島の豊かな自然の恵みと言えば、桜、椿、草花、クメジマボタルなどが楽しく島を彩るが、山の渓流にはキクザトサワヘビが生息し、海亀ものそのそと・・・。

さて、久米島の概略はこのぐらいにして、羽田空港から飛び立ったJAL905便は、富士山の南側を飛行。うわぁ晴天の下、冠雪の富士山がくっきり見えるよ〜。ラッキ!!やがて那覇空港に到着。そしてJTA211便に乗り換え30分後久米島空港に着く。早速、観光バスで島めぐり・・・、と言っても小さな小さな島ゆえ、何処へ行くにもすぐに着く。が、先ず久米島の北西海岸にある「具志川城跡」へと向かう。

具志川城跡は、東側の正門跡以外は30m余の断崖で、海に面した石灰岩の丘陵上に立する。15世紀初め、真達勃[まだふつ]按司によって築かれたが、城内は四つの郭に分けられ、郭内は低い石垣で仕切られる。城壁は安山岩の平石積み、石灰岩又は安山岩を混ぜた積み方。青磁・中国古銭・陶器類などの出土でわかるが、当時は恍惚たる未来に向かって交易も盛んだったことだろう。が、今は絶壁に築かれた城の痕跡はなく、ソテツがその歴史を物語り、スミレが可憐に笑む穏やかな空地である。

次にミーフガーへ。ミーフガーとは、風と潮の浸食によってできた雄大な奇岩のこと。20mは越える大岩が、浸食や風化によって2つの岩がまるで寄り添うように造形されている。

ミーフガーは一枚の岩に穴が空いているのではなく、穴の上に走っている亀裂を境に海側の岩が石灰岩、陸側の岩が凝灰角礫岩という岩石で、400万年以上前にできたが、2 つはそれぞれ違う時代にできた岩。海底にあったこの地帯が陸地化する過程で潮や風に削られ、固い部分だけが残り現在のミーフガーになった。

雄大な奇岩の向こうには海が広がる。岩と海の光景を身をさしだし見つめていると、大自然と大岩を説き伏せにやってきた芸術家たちの造形ではないかと思えてくる。なんと不思議な岩がそこにあることか・・・。

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久米島空港

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具志川城跡

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ミーフガー

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軍艦岩

(次回は2月13日の予定です

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