2014年01月23日

ドイツ旅行(その15)ケルン〜フランクフルト

 

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 ライン川クルーズを楽しんだ後、ローレライの歌を合唱しながらライン川沿いをドライブ。らんらんら〜んと、気分も爽快にケルンへと向かった。が、大渋滞に巻き込まれ、にっちもさっちも行かない状態。ケルンまでの約170km、2時間40分で行く予定が、これでは何時になるのかわからない。うぃぃ、大変〜。

ケルンはライン川の美しい景観が楽しめる街。ローマ時代から産業や商業の拠点として繁栄し、2000年の歴史を持つ。現在の街の形態はウイーンを模したものと言われるが、有数の古都だけに芸術、文化、カーニバルなど貴重な文化遺産が受け継がれ、ハートを大事にする町として、フィーリングや人生観が大切なのだと聞く。それっていいなぁ〜。私自身もそのことを大切に思っているので・・・。

ケルンの代表的な文化財は、何といっても大聖堂(正式名称は聖ペトロとマリア大聖堂)。高さ157mの二つの塔からなるゴシック様式の寺院は、まるで町の巨大な番人のよう。さすがドイツ最大の規模をもつ大聖堂。歴史は4 世紀にさかのぼり、12 世紀後半、東方三博士の聖遺物が安置されたことから、数多くの巡礼者を集める聖地とり、16 世紀以降、財政難から建設が中断されたが、19 世紀に再開され、現在の大聖堂が完成したのは、建設開始から600 年以上後の1880 年。

大聖堂には貴重な美術工芸品が数多くあり、大聖堂を幻想的な光で満たすステンドグラスや金細工芸術の傑作である三賢王聖櫃(1190−1225 年)、そして、天を突き刺すような尖塔や、石像や装飾に埋め尽くされた巨大な外観、なんとダイナミック!南塔にはケルン市街を一望できる展望台があり、509 段の階段を上って行くことができる。「時間」があれば、533 段の階段を上って尖塔の頂上を目指し、太陽光線が差し込んで美しく輝くステンドグラス など、ケルン大聖堂の巨大な空間を見つめたいところだが、渋滞でのろのろと走ってきたため、時間の余裕がない。遅い昼食へと向かい、ケルンビールを飲みながら魚料理を頂いた後、急いでケルン大聖堂に入る。大聖堂を見学するのみで終わったケルンだったが、次の街ブリュールへ。

ブリュールは、ライン川沿いの農村から発展し、20 世紀にはマンハイムの衛星都市となったため多くの住民がマンハイムへ通っている。ここでの見学も時間切れで「アウグストゥスブルク宮殿庭園のみの散策となる。アウグストゥスブルク宮殿はケルンの大司教で選帝侯であったクレメンス・アウグストゥス・フォン・バイエルン(1700−1761)お気に入りの居城で、1725 年に建設に着手し、1728 年から1768 年にかけて絢爛豪華な宮殿として建設が進められた。さすが世界遺産。パステルカラーの大理石や天使の装飾が多く、かなり乙女心をくすぐるが、住んでいたのは大司教だから・・・ドイツの男性はメルヘンチックなのかしら!?豪華な庭園に、優雅な花壇や大きな池があり、木の幹も苔むしてほんのり緑色。こんな庭園に佇んでいると、ついついメルヘンチックになり・・・白馬の騎士が現われてくるようの思えるから摩訶不思議!

再び大渋滞が続くなか、バスはブリュールからフランクフルト向かうが、ホテル到着はかなり遅くなってしまった。これも仕方がないこと。ホテルでポークビーフの夕食で乾杯をして疲れを癒す・・・。
翌朝、電車でフランクフルト中央駅へ行こうと、最寄駅に行ったが、あれれ、自動改札機がない。聞けば、どうも乗客の良心に任せて切符を買ってもらう、「信用乗車方式」らしい。その代わりに、切符をチェックする係員が時々巡回して、切符を持っていない人から、高額の罰金を徴収する・・・。う〜ん、自動改札機なしで運賃収入が上がれば、営業的にはこんなにいいことはないが、規則を重んじるドイツ人だからこそ成立するやり方に思える。

フランクフルト中央駅は、ドイツの新幹線ICEをはじめ、ドイツ各地からの列車や、ヨーロッパ各地から国際列車が次から次へとやってくる。駅構内は、行き止まりのホームが並ぶ典型的なターミナル駅で、24番線くらいまである。屋根はシンプルなドームで開放感がある。ソーセージ、サンドイッチ、コーヒーショップがあり楽しい雰囲気。私たちはぶらぶらと広い構内を行ったりきたりしていると、駅長さんがきて「一緒に写真をとりましょうか?」と。もち、もち、もちろんOK.。駅長さんはご自身の帽子をとって私の頭上に。にこやかに微笑みながらツーショット!

フランク駅前周辺には幾つかの出店が並んでいる。パン焼き釜もあるパン屋、花屋、果物屋、ソーセージなど様々。その辺りの一角を歩いてみると、ラーメン屋や理髪店が連なる店構え。一律1000円。これは安い!などと、みんなでわいわい言いながら楽しんだあと、ホテルに戻り、これで自由時間は終了。さあ、フランクフルト空港へ行こう〜。いよいよドイツともお別れ・・・

ドイツ最大の国際空港を持つフランクフルト。日本からだと成田、関西、中部の各空港から直行便があり、ドイツ行きの旅行者がたいてい最初に足を踏み入れるところ。人口は約67 万人。政治都市である首都ベルリンに対峙する経済済、金融、交通の中心都市。ドイツを代表する多くの銀行の本店が入居する超高層ビルが林立する一角もあり、他のドイツの都市とは異なった趣の町並みを呈し、EU に於ける金融システムの元締めである欧州中央銀行も、この街に本店が置かれている。

戦後、近代的に生まれ変わったとはいえ、かつての栄華を偲ばせる大聖堂、旧市庁舎などもあり、ゲーテの生まれた生家も町の中心に建っている。町の人々は、ゲーテのことを「フランクフルト市民の偉大な息子」と呼んで、ゲーテがここに生まれたことを、大変誇りにしている。まあ、実際的には、ゲーテハウスは第二次世界大戦で全壊し、戦後再建されたものだが、展示されている調度品は当時のもの。ゲーテやゲーテの両親、妹が実際に使用した家具、食器、直筆の原稿などが見られる。

「よくばりドイツ周遊の旅」も終わり。楽しみいっぱい、見学いっぱい、ビールで乾杯もいっぱいした。夕暮れ時の静かな庭園を眺め、ドイツのやさしい暮らしを感じながら、この国の奥深さを目の当たりにした。料理も南の暖かな食材に恵まれた国々の料理とは異なるようだが、ドイツならではの工夫が凝らされ、バリエーションがあったと思う。素的な旅は心身ともども癒される。そう、疲れを感じない旅だった・・・。

追記:15回に及んだドイツの旅紀行も終わりとなりました。長い間、ご一緒に旅をしていただきありがとうございました。

 

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写真1枚目「ケルン周辺の風景」
  2〜3「ケルン大聖堂」
  4〜5「ステンドグラス・ゲロ大司教の十字架」
  6〜7「三賢王聖櫃・床モザイク」
  8 「ケルン市内」
  9〜12「アウグストゥスブルク宮殿庭園」
  13〜14「ポークビーフ料理・ケルンビール、燻製ビール」
  15〜19「フランクフルト中央駅構内」
  20〜23「フランクフルト中央駅前の理髪店・出店風景」
  24〜25「機内食・機内から夕陽の光景」

    

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2014年01月20日

ドイツ旅行(その14)リユーデスハイム〜ライン川クルーズ

 

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 ヤッホ!今日は憧れのライン川クルーズの日。そこで・・・いそいそリユーデスハイムへと急ぐが・・・町も川も霧の中。ややっ、これでは湖畔の古城も見えないかも、と泣きたくなるが、旅の時計はカチカチカチと予定どうりに動く。リューデスハイムは、太陽の光に加え、幅の広いライン川によって反射された光も浴びることができるため、古代ローマ時代からのブドウの栽培地として栄えてきたが、特に白ワインで有名。人口約9,600 人。ライン川がマインツ辺りから徐々に西に流れを変え、このリューデスハイムで、再び北へ方向転換する位置にあり、「ラインの谷」の玄関口として観光客が集まる。

先ず、ブレムザー城で小休止。築1000年の古城だが、現在はワイン博物館。ワイン造りの道具や1200個に及ぶ見事なワイングラスが見られるが、庭には「ぶどう絞り機」が年代順に展示されているので、ワインの醸造技術の歴史もわかる。

ライン川舟下りの船着き場のすぐ近くに、長さおよそ150 メートルの狭い路地「つぐみ横丁」があり、ワイン酒場やみやげ物店で賑わっている。鳥のツグミはよちよち酔っ払いのように歩くことから名前がついたらしい。路地の両側には、1883年創業の「バイ・ハネローレ」や、1727年創業の「ドロッセルホーフ」など、老舗ワイン酒場やレストランが軒を連ねているが、早朝なので店もまだクローズ。看板を見ながら、あの店いいなぁ〜、この店も素的と、狭い路地をウロウロ〜。

運命の川とも言われるライン川だが、あらゆる民族や国の人々が行き来しただけでなく、物資を運搬し、芸術にも強い影響力を及ぼしてきた。そう、ライン川沿いに見られる建造物がその歴史を物語っている。いよいよ「ライン川下り」のスタート。桟橋へいくと観光客でいっぱい。そう、私たちも観光客。ライン川クルーズで有名な区間は、古城が最も集中しているリューデスハイムからザンクトゴアールまでの約30km。約2時間かかるが、船からリューデスハイムの街の全景や、古城、宮殿、険しい斜面にワインのブドウの栽培地を眺める・・・

先ず、「ネズミ塔」が近づいてくる。ライン河の中州にあるこの塔は、非常で強欲だったマインツ司教が、ネズミに食い殺されたという伝説があるため「ネズミの塔」と呼ばれ、昔は関税塔であったが、現在は信号塔として利用。
次に「エーレンフエルの廃墟」。右岸の530qにあるこの城の廃墟は、15世紀頃、マインツ大聖堂の宝ものの避難所や、関税を徴収するための関所として利用された。
ラインシュタイン城」は、左岸533qのポスト付近にある城で、古城の中でも最も美しいと言われている。
ドイツ鉄道」が見える〜。ライン河沿いをドイツ鉄道の赤い列車が走っている・・・。うぉぉロマンチックな姿!!

ライヒェンシュタイン城」は、1000年の歴史があり、現在は古城ホテル。隣に聖クレメンス礼拝堂がある。
ゾーンエック城(盗賊の城)」は、左岸の丘の中腹にあり、1010に建設されたが、盗賊騎士の住処として悪名が高かったので、13世紀に2回破懐されている。
ハイムブルグ城」は、左岸にあり、1305年に建設。
ノッリヒ城址」は、右岸の540qポスト付近にあり、ロリルの街の丘の上に、1300年頃に建設された。
フエルステンブルグ城」は、左岸にあり、大司教エンゲルベルトが、通行税徴収のため1219年に建設。1689年、フランス軍により破壊され塔のみ残っているが、現在は、ワイン貯蔵庫。

シュタールエック城」は、左岸にあり、1000年以上の歴史がある。1689年にフランス軍に破壊されたが修復。現在はユースホステル。城の下にはゴシック様式の礼拝堂がある。
プファルツ城」は、中州に船が浮かぶような形に見える。14世紀に税徴収の目的で建設。水の抵抗を少なくするため、船の形をしている。
「グーテンフェルス城」は、右岸のカウプの街の上にあり、1277年、プファルツ将爵が街ごと買い取ったとかで有名。
シェーンブルク城」は、右岸の550qポスト付近にあり、現在は古城ホテルだが18の塔が残っている。

ローレライ」は、ライン川流域の町ザンクト・ゴアルスハウゼン近くにある。ローレライとは、水面から130mほど突き出た岩山のことであるが、ローレライ岩の上に登ることもできる。ローレライの岩のあたりは、川幅が少し狭く流れも急になるため、昔から遭難する船が多かったという。ローレライには、昔からいくつかの妖精の伝説が残されているが、そのひとつに、「ローレライ」とは、不実な恋人に絶望してライン川に身を投げた乙女で、水の精となった彼女の声は漁師を誘惑し、岩山を通りかかった舟を次々と遭難させていったという。」

ローレライに近いライン河左岸には、ザンクトゴアールの街がある。ここで下船。リューデスハイムからザンクトゴアールまでの約30kmを約2時間かけた船旅も終了。今一度、ラインリン川を見れば対岸に、「猫城」が見える。猫城は、14世紀にカッツェンエルンボーゲン伯爵が建築した城で、 1806年にナポレオンに破壊されたが、1896-98年に再建。名前は、城主のカッツェン伯爵(ドイツ語で「猫」)に由来する。

スイス山中に水源を持ち、オランダで北海に注ぐライン川は、全長1320km。ヨーロッパ最長級の川の流れはゆるやかで美しい。甲板で2時間ぶっ通し風に吹かれながら見つめ、ラインの谷の香りを吸う。ああ、この美しい光景が、しばし私から消えようと・・かすかな川波のせせらぎと、瞳に映った城のすがたは、永遠に脳裏に残るに違いない。 さあ、次の町、ケルンへ向かおう〜。

 

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写真1枚目「ブレムザー城」
  2〜4「つぐみ横丁」
  5 「観光船の桟橋」
  6〜7「リユーデスハイムの町・ネズミ塔」
  8〜9「エーレンフエルの廃墟・ラインシュタイン城」
  10〜11「ドイツ鉄道・ライヒェンシュタイン城」
  12〜13「ゾーンエック城(盗賊の城)・周辺の町」
  14〜15「ハイムブルグ城・ノッリヒ城址」
  16〜17「フエルステンブルグ城・シュタールエック城」
  18〜19「プファルツ城」
  20〜21「グーテンフェルス・シェーンブルク城」
  22〜23「ローレライ」
  24  「猫城」
  25  「ライン川クルーズ観光船」

       (次回の更新は1月23日木曜日の予定です)

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2014年01月16日

ドイツ旅行(その13)ハイデルベルク

 

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 バスはハイデルベルグへ。山あり、牧草あり、石造の家が点々と延びる道すがら、この地方のやさしい暮らしが見えてくる。車窓風景をまじろぎもせず見入りながら、ベルリンから南アルプス山脈まで、ひとつと同じ表情の街はなかったなぁ〜って思う。昔ながらの自分の住む地域を誇りにし、それぞれの都市が発展している。そう、ドイツ人ってあまり移動しないのかも知れないと思えるほど、どっかと根を下ろした生活を垣間見る。ハイデルベルも又しかり。ドイツで最も古いループレヒト・カールス大学、ロマンチックな小路、多くの名所旧跡がより魅了ある街へと・・・そう、ロマンチストのあこがれの場所になっている。

ハイデルベルクは17 世紀の闘いで荒廃となり、18 世紀に再建された。古いゴシック調の街並みにバロック様式の建築物が建てられたが、最も古い部分は歴史的な旧市街。その旧市街は城の足下に広がり、その中心はマルクト広場。装飾豊かなルネッサンス様式の建物や、石畳の広場には大きな噴水、ストリートカフェやレストラン、居酒屋がある。あまり広くない旧市街ゆえ、徒歩でばっちり回れる。おお〜楽しみ!

先ず、ハイデルベルク城へ入ると、おやや、映画の撮影が行われている。14 世紀のハイデルベルク城は、この地のシンボルだから何かと話題になるよう〜。少し歩いたところに「ゲーテ記念碑」が。ゲーテはフランクフルトで生まれ、ワイマールで83歳の生涯を閉じているが、亡くなるまでに8回ここハイデルベルクを訪れ、詩を読んだり、絵を描いたりしている。恋多きゲーテの最後から二番目の恋人が、ハイデルベルクで知り合ったマリアンネ・フォン・ヴィレマー。彼女のことを、ゲーテは「西東詩集」の中で、「イチョウの歌」という詩にしているが、確かに「イチョウ」の木が植わっている。うぅぅ、ロマンチック!
         
                銀杏

       東の国からはるばると
       わたしの庭にうつされたこの銀杏の葉には
       心あるひとをよろこばす
   ひそかな意味がかくれています。
   もともとこれは一枚の葉が
   二つに分かれたものでしょうか。
   それとも二枚がむすばれ合って
   ひとつに見えるものなのでしょうか。
   この問いに答えようとして
   わたしの歌を読むたびにお感じになりませんか。
   わたしはひとりでもあなたとふたりでいるのだと 
        (高橋健二著・ゲーテ評伝)

マリアンネは、当時16歳でゲーテは66歳。木陰に石碑があり、ゲーテに対して書いた詩が刻まれている。「彼は虹のようにここを去り、ゲーテとの出会いはその虹のように儚かった」と。ゲーテも別の詩で「私はここで愛し愛され、幸せだった」と詩っている。

ゲーテの石碑の先に「ロンデル半円砲塔」がある。ルードウィッヒ5世は、このロンデル半円砲塔を城の防御のため、大砲なども設置し砲庭としていたが、後のフリードリヒ5世が英国生まれのエリザベス・スチュワート妃のために遊園化した。彼女はこの砲庭内を毎朝散歩していたが、夫のフリードリッヒ5世は、彼女をさらに喜ばせるために、一夜のうちに「エリザベス門」を建てさせ、誕生日のプレゼントにしたとある。

そのエリザベス門をくぐり橋へと進む。橋の欄干の上に、ゲーテの名を刻んだ一枚のプレートが埋め込まれている。ここには、ゲーテが34歳の時、この場所から右手に見える崩れた火薬塔を描いたということが記されている。これを描いたゲーテの絵が有名になり、その火薬塔を見るために、多くの人がハイデルベルクにやってくるようになったそう。
橋からこの火薬塔を見ると、ダイナミックに火薬塔が2つに裂け、外側の壁が掘に落ちこんでいるのがわかる。この火薬塔は爆発で裂けたのだが、その訳は、フリードリヒ5世がエリザベス妃のために砲庭を庭園化としたため、城を守りきれず、継承戦争のとき攻め込まれることになった。が、その時は持ちこたえたものの、その後、大量の火薬を貯蔵したため爆発したのだった。

橋を渡ると城門塔が見える。度重なる戦争にも耐えて唯一残った塔。高さ52m、奥行き13,5m。時計は4階にとりつけられ、庭と城との間には深い堀がある。平和なときには鹿などを飼ったり、非常時には水を満たし敵の攻撃に対する防御になっていた。
城門塔の門扉には、鉄の輪がや奇妙な傷跡が。「魔女の噛み跡」と言われるが、その訳は、この城の王が「この鉄の輪を噛み切る者がいれば、その者に城を与える」と言ったとかで大勢が挑戦したが、誰一人歯がたたなかった。最後にやってきた魔女が、全力で噛み付き、その噛み跡がこれだと言われる。うわぉ、ついに魔女も登場!

中庭に出ると、すぐ左の建物がルプレヒト館。この建物は城の最古の住居館で、600年前のゴシック様式。入り口の左側に、建造主であるルプレヒト3世を表す鷲の紋章があり、花輪をもった2人の天使の彫刻像が掲げられている。伝説によれば、「大工の棟梁の双子の子供が、工事場に来ていて、足場を踏み外して死んでしまった。双子は、悲しみに沈む父親の夢枕に現れたという。翌朝彼が目を覚ますと、昨夜のしおれたバラの花輪が新しい花輪となって、ベッドの脇に置かれてあった。そこで大工の棟梁は、この夢をもとに石の彫刻像を造り、コンパスを彼の職業のシンボルとしてはめ込んだ。」・・・彫刻を見ると確かに花輪の中にコンパスがある。

次に、オットー・ハインリッヒ館へ。1546年オットー・ハインリッヒによって造られたが、彼は大変教養の深い人で、天文学、建築学にも造詣が深く、芸術家のパトロンでもあり、このプファルツにプロテスタントを導入した人でもあった。正面ファッサードしか残っていないが、これは、ドイツ・ルネサンスの最高傑作と言われる。最後に、テラスへ。声をのむほどの絶景が広がっている。眼下には、旧市街の赤い屋根の町並み、ネッカー川の流れ、対岸のハイリゲンベルクの緑の森など忘れがたい風情をたたえている。聖霊教会や、マルクト広場、アルテ・ブリュッケ(古い橋)なども見渡せる。

テラスから階段を下りると、ワイン樽が置かれているが、1751年カール・テオドールが造ったもの。直径7m、長さ8,5mあり、222,000リットルの容量で、130本の樫の木からできており、木製の樽としては世界一。当時、税金の代わりとしてワインを納めることができ、この樽におさめられたワインは、いろいろな畑のものが混ざり合い、アルコール度が5%くらいで、質的には良くなかったそう。城の最盛期には、常時500−600人の人がいて、一日約2000リットルくらいのワインが消費されたという。

 樽の反対側、壁側にコンパスとカンナが飾られているが、樽を製作したとき使われたもの。その下に、小さめの人の像があるが、「ペルケオ」といってイタリア出身の道化師。一日18本ものワインを飲む大酒のみで、人をからかうことが好きだったそう〜。ペルケオの像の横に時計の形をした箱があるが、実は、きつねのしっぽが出てくるびっくり箱。道化師のペルケオは、貴婦人を驚かせることを楽しみにしていたとか。

さあ、旧市街を歩こう〜。先ず、精霊教会へ。82m の最も高い塔を持つゴシック様式の教会。選帝侯の墓が納められているが、大学の祭宴の場でもある重要な教会である。
アルテ橋へ。町でも最も古い橋で長さ約220m ある。橋にある門は、もともと中世のころ町の城壁の一部だったという。夜は落とし格子の柵がおり防御施設としての役割を果たしたし、その左右の橋の塔は、牢屋として使われていたこともあった。しかし、まあ〜、窓から町の風景が眺められるこの明るい牢屋に入れられるのは、たいしたおしおきにならなかったに違いない。

アルテ橋のたもとにサルの像がある。これにはエピソードがあり、「昔、若い恋人たちが結婚前に愛し合って、女性は妊娠してしまった。当時、大変なスキャンダラスな出来事として、時の選帝侯はふたりを町から追い出してしまった。怒った彼らは腹いせに選帝侯に似せたサルの絵を描いて次の文句を書いた。「何で私のことを、珍しそうに見るのか?ハイデルベルクのあちこちに、私と同じような人を見つけられるというのに」・・・サルの指は、私達の方に向けられており、手には鏡を持っている。偽善者ぶって人を裁くことができるのか?との意味合いで、ハイデルベルグのユーモアというもの・・・。

アルテ橋からお城をバックに思い出の一枚を撮り、夕暮れが迫るなかフランクフルトのホテルへ。ああ、今日もいっぱい太陽をあびながら楽しんだ。明日はリユーデスハイムからのライン河くだり。ほっほっ、船旅でさすらう甘さを・・・どっぷり味わいたいなぁ〜。

 

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 写真1枚目「ハイデルベルグ郊外の風景」
  2〜3「ゲーテ記念碑・銀杏の木」
  4〜5「ロンデル半円砲塔・火薬塔」 
  6「エリザベス門」
  7〜8「城門塔・門の扉」
  9〜11「ルプレヒト館・鷹の紋章・双子の石彫刻」
  12 「オットー・ハインリッヒ館」
  13〜15「テラスからの眺望(旧市街)」
  16〜17「ワイン樽・ペルケオ」
  18〜19「精霊教会」
  20  「アルテ橋のサルの像」
  21〜22「アルテ橋からの風景」
  23〜25「夕暮れのハイデルベルグ〜フランクフルトへ」

      (次回の更新は1月20日月曜日の予定です)

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2014年01月13日

ドイツ旅行(その12)ウルム

 

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翌朝、ミュンヘンの町は濃霧で真っ白。高速道路も白くかすみ、ウルムの旧市街地も霧の中。それゆえ、大聖堂の姿を捉えることができなかったが、目を見開いてよく見ると、ぼやけながらも大聖堂が見える・・・。そう、まるで無言の境地におかれた仙人みたい。すごい高さ!聖堂内はオルガンコンサート中なので、急遽、予定変更をし、町を見て回ることに。あれ、こんなところに「イチイ」の木が。透き通るようなゼリー状の赤い実を一粒、口に入れてみると、甘酸っぱい味がしてとろけた。

ノーリードの犬も気楽にお散歩。ガイドさんの話だと、ミュンヘンには散歩時にイヌをつなぐ義務はないとか。これって十分に犬のしつけが出来てるからだと思う。ドイツでは犬を飼う場合、先ず1ヶ月トレーニングセンターに依頼し、最後は飼い主も参加。トレーニング終了後、初めて役場に登録となる。・・・一日、8時間は犬と一緒にいなければならない。散歩もさせなくてはいけないし、主人が「吼えろ、かみつけ」と言うと、聞く犬でなくてはいけない。基本的には家の中で飼うが室内でも自由の身らしい。そう言えば、公園で見かけた大型犬もつながれていなかった〜。まあ、例外もあると思うけど、犬の身になれば嬉しいよね。

さて、ウルムはドナウ川沿いにあることから交通の要として発展し、1274 年に帝国自由都市となる。1810 年以来ウルムは二つある。ウルムとノイ・ウルム。 ウルムはヴュルテンベルク国に属するが、ドナウ川の右岸にあるノイ・ウルム(新ウルム)はバイエルン国に留まると規定されている。旅行者にとってもウルム旅行は二重の意味がある。ウルムではゴシック様式のウルム大聖堂と歴史的名旧市街の見学となり、もう一方のノイ・ウルム(新ウルム)では堂々とした水塔や連邦要塞、ビール醸造所など、親しみやすい中級都市を見て回ることになる。

ウルムはアインシュタインの故郷であるが、1337 年に起工、1890 年に完成したウルム大聖堂がつとに有名。第二次大戦でウルム市街の多くが破壊されたが、この聖堂は被災を免れている。「神の指」と呼ばれるウルム大聖堂に、世界でもっとも高い教会塔があり、尖塔(せんとう)の高さは161 メートル。教会の塔としては世界一の高さを誇り、141m の展望台からウルムの街が一望できる。768 段の階段はもちろん登ることも可能。だが、自由時間が少ないことと、霧で包まれていては眺望も期待できないと思え・・・うぅぅ残念。

この大聖堂の屋根の上や内部にスズメの像があり、「ウルムのスズメ」と呼ばれるが、その訳は、「その昔、ウルムの街にたくさんの建物を建てようとしていた時のこと。人々は郊外から建築に必要な材木を持ち込もうとして、皆は長い木材を横にして運んでいたが、街の門をくぐることが出来ない。どうやったら持ち運ぶことができるのか?皆で知恵を振り絞って考えるが、なかなか良い方法が見つからない。ある日、解決策を考えながら歩いていたとき、ふと、門の上にスズメが巣を作っているのに目がいく。賢いスズメは小枝をヨコに加えたり、縦にくわえたりしながら上手に巣を作りあげている。それで思いつく。「そうだ、材木を縦にして運べばいいんだ!」・・・この方法で材木を運び、無事に門を通ることができるようになったとさ。スズメに感謝した人々は大聖堂の屋根の上にスズメの像を建てたそうである。

外壁にフレスコが描かれている美しい市庁舎は、1370年に商業施設として建てられたが,1419から市庁舎に。彫刻や壁画は建築後の1427年から約100年もの歳月をかけて造られた。正面には天文時計があり、その上に通常の時計。そのまた上に日時計がある。彫刻や壁画が一人の人生より長い年月がかけて造られているのかと思うと歴史の耀きが増す。内部には、ベルリンガーが発明した飛行機の模型が陳列されている。

あれ、行く先に傾いた塔がある。目立つ〜。太った肉屋備施設であった二本の塔が目立つ。1345 年に建てられた肉屋の塔は、ここでは傾いた塔と呼んだ方が通じるが、その裏にはウルム独特の逸話がある。それによれば肉屋の塔は、ソーセージにおがくずを詰めた肉屋から来ている。・・・事実を知った市民は犯人の肉屋を塔に閉じ込めた。怒った市長が入って来たとき、太った肉屋たちは恐れをなして一つ角にかたまったので、塔が傾いてしまったとか。ほんと?うそ?・・・実際にこの塔は傾斜しているが、それは塔が湿地に立っているからだそう。

ウルムには、そのほか1433年建築の「傾いた家」もある。建物自体が傾いている家で、街の見所のひとつ。ホテル内の11部屋が傾いているがベッドは水平。これはベッドに水準器が取り付けられてあるからだが、室内は木組みの伝統的雰囲気を残しながらもモダンで最新設備が揃っている。小川のせせらぎが聞こえる漁師地区にある。現在はデザインホテルとして活躍中。ギネスブックにも「世界一傾いたホテル」として登録されている。

この辺りの伝統的な街並を散策すると、家々の庭の手入れも行き届き感心する。ドイツでは、庭の手入れをしないと役所に連絡されるらしい。それでもなお庭の手入れをしないときは、役所から手入れにくるらしい。無論、有料。庭の手入れやガラス磨きはお嫁さんのつとめで、綺麗な庭やぴかぴかの窓ガラスの家だと、働き者の嫁さんがいる家となり、お姑さんの鼻も高いそう〜。そういえば、店に入るかどうかは、窓ガラスが磨かれているかどうか?で決めるらしい。確かにドイツの家々の庭や窓ガラスの綺麗さに驚いたものだが、この旅行中、お世話になっているバスの窓もぴかぴか。

ドナウ湖畔を散策しながら漁師地区にあるレストランで昼食。お食事はビーフ料理、スープ、レザートも美味しかった!!食事後、大渋滞に巻き込まれながら、古城と学生の街、ハイデルベルグヘと・・・

 

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 写真1〜6「ウルム大聖堂」
  7 「大聖堂内のスズメ」
  8 「ウルムの街風景」
  9〜10「市庁舎ト天文時計」
  11〜12「肉屋の傾いた塔」
  13「城塞の上を歩く人・肉屋の塔」
  14「ドナウ河風景」
  15〜16「傾いた家(デザインホテル)と入り口」
  17「漁師地区風景」  
  18〜20街の建物に飾られたスズメたち」
  21〜24「漁師地区内でレストランで」

     (次回の更新は1月16日木曜日の予定です)

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2014年01月09日

ドイツ旅行(その11) ミュンヘン

 

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昨日、ロマンティック街道の終わりに近い街々で、美しい城や教会を見て回った。古代ローマ時代から帝国自由都市として、栄華を極めた街が連なる350kmのこの街道は、、ドイツで最も人気が高く世界中の旅行者を魅了する。又、地方の郷土料理やジャガイモ料理、ワイン、お菓子なども美味しい。今日はミュンヘンの街を見学。さあ、どんな町なのだろうか〜!

ミュンヘンの歴史は約850 年。ミュンヘンの魅力は、古くは中世からの景観を保ちつつ、現代的な都会の魅力も備えるなど、言わば歴史と現在が上手に調和した町にある。ミュンヘン中心のマリーエン広場には大都会の雰囲気が漂い、歴史的建造物ばかり。いずれも何百年もの歴史を持ちながらもまだ現役で市民生活に密着している。さあ、名所を見て回ろう〜。ミュンヘン旧市街は、リング状の大通りにぐるりと囲まれており、その中心部がマリエン広場。広場中央に黄金のマリア柱像が輝き、広場周辺には伝統料理や商店が軒を連ねている。

ミュンヘン観光は、このマリエン広場からスタートするのがベスト。広場のほぼ中央に立つ金色に輝くマリア柱像には、次のようないわれがある。ドイツ中が戦場となった三十年戦争の時代に、選帝侯マクシミリアン1 世は、もしミュンヘンが戦災から逃れることができたら、記念柱を建てると神に誓いを立てた。そして実際ミュンヘンは破壊からまぬがれたのだった。

次に1867〜1909 年に建てられたネオゴシック様式の新市庁舎へ。この建物の塔にある「仕掛け時計グロッケンシュピール」は、毎日11:00、12:00から約10 分間、華麗なダンスや演奏で楽しませてくれる。グロッケンシュピールは、1568 年に行われたバイエルン大公ヴィルヘルム5 世と公女レナーテとの結婚式を再現したもので、馬上槍試合では、バイエルンの青と白の旗を馬に付けた騎士が勝つことになっている。そのあとビール樽を作る職人たちがくるくると踊りだすって仕掛け。動いている32 体の人形は等身大と聞く。

マリエン広場は、ミュンヘンの市内交通網の中心地でもあり、新市庁舎のグロッケンシュピールが動き出す時間ともなると、お祭り広場のようなにぎやかさ。
次にネギ坊主のような双子の塔が特徴のフラウエン教会へ。1468〜88 年に建てられたミュンヘン市民の大聖堂で、今でもミュンヘンのシンボル。塔の高さは99m と100m あり、南塔はエレベータ(一部階段)で登ることもでき、天気次第ではアルプスだって見えるらしい〜。

いよいよオクトーバーフェストのビール祭り会場へ。ミュンヘンは「世界のビールの都」と言われ、ビールのメトロポリス全国ナンバーワン。州都のトレードマークであるオクトーバーフェストは世界中に知られ、毎年10 月の第1 日曜日を最終日とする16 日間にミュンヘン市のテレーゼの緑地で開催されている。1810 年、当時の皇太子ルードヴィヒとザクセン皇女の結婚式を多くのミュンヘン市民が祝ったお祭りで、2010 年に記念すべき200 周年を迎えている。

会場ではステージでの音楽や観覧車、ジェットコースターなどの移動遊園地、お化け屋敷や食べ物屋など日本の祭りの屋台に相当する店が揃うなど現代風に変化し、昔ながらの荷台にビール樽を積んだ馬車などもあり見所満載。やはり祭りの中心はビールや食べ物を出す仮設レストラン、ビールテントのようで、昨年は、690 万人もの来場者によって750 万リットルのビールが消費されたと言われる。そう、まさに世界一のビール祭り。入場は無料で行き来は自由自在。飲食物を買う時や遊具に乗る時にその都度支払うシステム。

時間になると、マリエン広場は人で混雑し、通り抜けさえ難しい状態になる。それを見込んで15 分ぐらい早めに向かうが、雨、それも土砂降りの雨の中。だが雨の中でも人々が集まってくるから・・・これはすごい。巨大ビールテントをはじめ、小さな屋台やアトラクションなどがいっぱいの広大な会場で多くのビールが飲み交わされている。うい〜い、見ているだけで酔ってきそう。傘をさしながらあちらこちら、キョロキョロとしながら広い会場をウロウロ。よく見れば、ドイツ人もテントからテントへとうろうろ。ミュンヘンは富裕層が多く住み失業率も相対的に低く安全な街と聞く。う〜ん治安はよさそう〜。

とにかく冷え込んで寒いし思うように歩けまわれないが一軒の店で何とかビールにありつけ乾杯!陽気なドイツ人が行きかうのを楽しく眺め、そしてホテルへ。ビール祭りの雰囲気がぱんぱんに満ちるレストランで、赤ら顔の調理人、支配人、ウエートレスがユーモラスにお出迎え。はい、チキン料理とビールで乾杯!明日は伝統とモダン、ローカルとインターナショナルが混在するミュンヘンを後にしウルムへGOー!!

追記: 帰国後、横浜赤レンガ倉庫で開催中のオクトーバーフェストへ出かけてみた。横浜の海を間近に感じながら、美味しいビール飲める幸せ。テント内は乾杯する人々と、音楽で雰囲気を盛り上lげていた。祭りの規模は、ドイツとは比べ物にならない程小さいが、ビールを愛する人々の楽しげな表情は同じであった・・・

 

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 写真1枚「街角の紅葉」
  2〜3「マリエン広場の中央に立つマリア柱像」
  4〜5「新市庁舎・仕掛け時計」
  6 「フラウエン教会」
  7〜11「マリエン広場周辺」
  12〜20「雨のオクトーバーフェストのビール祭り会場」
  21 「とり料理」
  22〜24「横浜赤レンガのオクトーバーフェストバル」

    (次回の更新は1月13日月曜日の予定です)

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2014年01月06日

ドイツ旅行(その10)シュバンガウ〜ヴィーズ

 

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 昨日、ロマンチック街道筋の花畑で見かけた野ウサギが忘れられない。目がぐりぐりしていて可愛かった!わずかな緑のかたまりに生息しているためか、用心深くすばしこかったが逞しかった。お花畑に身をひそめじっと私を見つめていたが、しばらくすると大胆に道路へ飛び出し、ピョンピョンと次なる森へ・・・

今日はミュンヘンから「ノイ・シュヴァンシュタイン城」がある町シュバンガウへ。バスは再び牛が草をかむのどかなロマンチック街道を走る。この夢の街道を自動車、オートバイ、バスのどれを使うにしろ楽しみがいっぱいだが、アルプスの高峰が見えるこの辺りから街道は終わりに近づく。2時間30分ほど過ぎたころ、アルプスの山を背景として立つノイ・シュヴァンシュタイン城が見えてくる。その建造主はかの有名な通称「おとぎの国の王様」で知られたバイエルン王ルードヴィッヒ2世である・・・うぉぉなんと麗しき城!!

美男子のルードヴィッヒ2世は8歳で王位を継ぎ政務につくが、当時の政情は若い王にとっては難題が多いものであった。ついに王は孤立し孤独から現実逃避へと・・・、即ち夢想の世界へと追いやってしまう。やがてワーグナーの楽劇に心酔し、古代ゲルマンの伝説に熱狂。その結果、このイシュヴァンシュタイン城を初めとし、名城リンダ-・ホープやヘレン・キーム・ゼーなどの名城造りへと気持ちが揺れたとある。

王ルードヴィッヒ2世の死はなぞに包まれたままであるが、その死の1886年をもって城造りは急遽取りやめとなった。が、1869年に起工となったノイ・シュヴァンシュタイン城は続行されている。ドイツ中部にあるヴァルトブルグを手本とし、湖アルプ・ゼーや、ペッラード渓谷の滝を見下ろす野性的でロマンの漂う岸壁上に建っている。城はロマネスク様式の外観をもつ5階建の宮殿で、装飾用に多くの細作りの塔やテラスがある見事な造り。そう、遠くから眺めてもアルプスの山々に囲まれたロマンチックな城は人々を惹きつけてやまない。

ノイ・シュヴァンシュタイン城の麓に到着。城に行くには、料金を払って馬車で行くのと、徒歩で30分で登る方法がある。さあGO−.私たちはバスで登り、帰路は徒歩。城の南には鉄製の橋「マリエン・ブリュッケ」がある。橋は渓谷の底から92mの高所に架橋されており、下に見える滝は45mの落差があり、城の眺めもさることながら周りも絶景。王は「自分だけの城」とし、他人は決して立ち入りをさせなかったと伝えられるが,城は一般公開され現在に至るまで5千万人以上が訪れている。この賑わい・・・うぅぅ皮肉な感じ。

さあ、城内の見学へ。お城の中はびっくりするほどハイテクで、快適に生活できるよう作られている。セントラルヒーティング、水道、お湯、水洗トイレ、電話、食事を運ぶためのエレベーターなど、19 世紀の話とは思えないほど贅沢な装置満載。又、ワーグナーの熱心なパトロンだったことでも知られる王らしく、城内はワーグナーのオペラに出てくるモチーフを描いた壁絵でいっぱい。また中世の伝説を再現した部屋や洞窟など、とにかく豪華でこだわった作り。ビザンチン、ゴシック、ロマネスク装飾の進化と共に様々な様式が用いられ、王の憧れとファンタジーを徹底追求した世界が広がっている。

このように贅沢の限りを尽くして作り上げた城の見学を終え、徒歩で麓へくだるが、道中の景色が素晴らしい。今一度、角度を変えながら城を眺めたり、滝、端、森の光景に感動しながら、ゆっくりした足取りで歩き回り、時々立ち止まり、程よい距離でもって写真を撮る瞬間は旅の醍醐味。途中、同じカメラを持ってる青年と話をし仲良く記念写真。いいなぁ〜、一言二言の交流でも気持ちが通じ合えるのも旅人として同じ空気を吸ってるからかも・・・

ホーエン・シュヴァンガワ城が視野に飛び込んでくる。黄色の王城ホーエン・シュヴァンガワは、ノイ・シュヴァンシュタイン城ほどの高所ではなく、樹木が生い茂る丘に建っている。この王城は廃墟となっていた城塞の跡に、1833年から2年がかりで英国の城館風に建造された。ここにも「白鳥の騎士の広間」があり、幼児を過ごしたルードヴィッヒはここで古代ゲルマンの伝説と対面している。バルコニーからルードヴィッヒ2世は望遠鏡で新城のノイ・シュヴァンシュタインの建設のはかどりを眺めていたそう。

 ドイツロマンチック街道のフィナーレを飾るのは、何と言ってもルートヴィッヒ二世のノイシュヴァンシュタイン城だが、黄色い城ホーエン・シュヴァンガワも印象的である。ポプフェン湖のほとりのホテルのレストランで、マウルタッシェン(ドイツ風ラビオリ)を堪能し、次の町へ・・・

バスで約30分走り、キリスト像の奇跡の涙で知られる「ヴィース」へ。ロマンチック街道を外れ、南東に5キロほど行くと、なだらかな丘の牧場にヴィース教会が立っている。このヴィース教会は略称で、正しくは「巡礼地教会ツム・ゲガイセルテン・ハイライト・アウフ・ヴィース(牧場の野で磔刑にあった救世主)」と言う。牛、ニワトリが放ち飼いにされた園に白く浮き上がって立つ教会、草原の光に照らされ眩しい!

 ・・・ヴィース教会が、どのような訳でこのような寂寥の地へきたのか?
1730年の春、シュタインガーデンの神父二人はイースタ金曜日の行事用に「磔刑にあった救世主」の像を作ったが、それは麻布で覆われ」、血の滲みを表すために赤色で塗られていた。これを見た多くの人たちは「この像は余りにも血で汚れている」と感情を害したため、長い間、しまい込まれていた。が、「鞭打たれるキリスト」の木像を、マリアという農婦がもらい受け祈りを捧げたところ、1738 年6 月14 日、キリストの像が涙を流したという。この噂を聞きつけた人々がマリアの家に押し寄せ、1740 年に小さな礼拝堂を建てたところ、巡礼者はますます増え、1746 年に新たに教会が建てられた。

外見は、何の変哲もない教会だが、中に入るとその華やかで壮麗なロココ芸術の内装に圧倒される。「鞭打たれる主の涙」の奇跡の由来のある教会。1ユーロの寄付をして内部へ。アルプスを背に立ち、緑の牧草地に白壁が映える教会は、素朴な外観に比して、内部の装飾は華麗で繊細。窓からの採光を取り入れた建築技法によって、光みち溢れる教会内部。ドイツ・ロココ様式の最高傑作と称えられ、主祭壇の天井フレスコ画や、パイプオルガンも、じつに華やかに装飾されている。

「鞭打たれるキリスト」の像は、十字架にかけられたキリストの血を表す赤い柱と、神の恩寵を表す青い柱に囲まれ、自ら犠牲になり復活したキリストの象徴である子羊の像、キリストの献身を表すペリカンの像などが配された主祭壇に安置されている。伝説の奇跡を今に伝える質素な佇まいの教会ながら、年間100 万人もの巡礼者を迎え入れている・・・。
自然の中でカラン、カランと、首にカウベルをつけた牛や鶏が自由に歩く。その光景を眺め、身も心も健康になる秘密があるような丘に思えてくる。さあ、ミュンヘンに戻ろう〜。

 

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 写真1〜3「ロマンチュク街道の光景」
  4 「ノイ・シュヴァンシュタイン城」の麓の町」
  5〜9「ノイ・シュヴァンシュタイン城」
  10〜11「ペッラード渓谷の滝と橋」
  12〜13「ホーエン・シュヴァンガワ城」
  16〜17「ポプフェン湖のほとり・マウルタッシェン(ドイツ風ラビオリ)」
  18 「ヴィース教会
  19〜20「鞭打たれるキリストの像」
  21〜22「主祭壇・天井フレスコ画」

       (次回の更新は1月9日木曜日の予定です

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